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国語テスト、読解力問題で著者が否定する現象をひも理論的な多次元的な考えで説明する

日本だけでなく世界的に超弦理論、ひも理論の考え方を映画、アニメなどの創作物に反映していることが多くなっているように感じる。科学の発展と作品との関係ではよくあることで20年位前だと遺伝子とかに関わる作品も多かったように思う。
ひも理論=パラレルワールドみたいな捉え方も多いですがそれが間違いかどうかはまだわからないですがそれが本質ではないように思っています。ひも理論などの考え方は多次元的な考え方を持つことだと思っています。

ひも理論などの多次元的な考えというのを国語テストの読解力の問題でその問題の元になった著者がそういう意図で書いていないと答えることがしばしばある。
その前にまず次元的な考え方、イメージというのを説明したいと思います。小説と漫画で説明していくと漫画の場合、文字情報+視覚という二つの要素で情報が入ってきます。逆に小説というのは文字でしか情報は入ってきません。その中で作者がどのような意図を持っているのか想像する必要が出てきます。小説を漫画に置き換えるような作業です。次元で考えるというのはこのようなイメージです。小説を漫画のようなイメージにする行為は次元を上げる行為といっていいと思います。
そして小説というのは想像性が必要とされる分、漫画よりも自由です。次元が下がったということは劣っているのではなく、自由になっている面もあります。これはキスの時になぜ多くの人は目を瞑るのかと同じような感じだと思います。キスの時になぜ目を瞑るのか、視覚という感覚を消すことで他の感覚、触覚などを敏感にしたり、想像を増したりする、らしいです。小説は視覚情報がない分、キスと同様に見えない部分というのが重要になってきます。
見えない部分、文字としては出てきていない部分、それが作者の考え、心ということになります。ここでまた物理の考えで説明していきます。本来、作者の考え・心(背景、バックボーン)と文字情報で小説は制作されます。これを便宜上、3次元のものAだとしましょう。しかし制作されたものは文字情報だけの2次元のものBになります。上に載せてある動画内でも説明しています(7:07あたりから)が2次元の円を3次元に変換する場合、球なのか、円柱なのか、円錐なのか、いろんな可能性が出てきてしまいます。Aを2次元にするといってもどこから見るのかで2次元での見え方も変わってきてしまう。例えばAが円柱の場合、xy座標で見ればBは円になり、xz座標およびyz座標でみれば四角形になります。作者の心・考え+文字情報から文字情報だけになるのでどこから見るかで変わってしまうということは次元を変えているので起こってしまう現象のように思います。
もちろん制作物というのは多くの人に伝えるために相手に意図を伝える必要があり、そういう書き方になっているものの繊細な部分の表現というのはキスと同じように想像性を高めるためにあえて説明し過ぎないこともあるだろうし、その場合、間違いではないものの見方によっては著者と違う捉え方をする場合が出てきてしまう。今回のタイトルの国語テストの問題について物理的に説明すれば次元が変わったことによる現象ではないかなと思います。

思えば、自分たちの時代は理系、文系と区別をしていましたが最近の学問はその垣根がなくなって、理系に文系的な要素、文系に理系の要素が必要になっているようにも感じます。ゲーム理論などはそういうものの代表なのかなと思います。理系と文系の関係、これは時代によって離れたり、交わったりということが繰り返されていると思いますが今の時代は理系、文系を分断するのではなく、お互いの本質はしっかりと把握しておくといいのかなと思います。

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