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人を笑顔にする仕事。

大阪で育った私は、小学校の半日授業から帰ってきたら絶対に見ていた番組がある。
そうです、吉本新喜劇です。
焼きそばを頬張りながら弟と笑い転げていた土曜の昼下がり。
小学校時代は将来お笑い芸人になるという夢も一時は掲げていた程、お笑い芸人に憧れていました。

なぜお笑い芸人は私にとって魅力的なんだろうと考えた時に、あ、私は人に笑ってもらうのが好きなんだわ、と感じて、見よう見まねで仲良い友達と漫才ごっこしたりして遊ぶようになりました。

そこから小学校のお楽しみ会の出し物は漫才やコントをやったり、言葉の掛け合いをするために事前に台本を作ったり、また演じることが楽しくなってしまってクラスの有志を集めてクラス劇団を作って、台本や演出を作ってみんなで練習して、全校集会で劇を上演したりしました。

7歳の時、1年住んだフィリピンから帰国してすぐは、日本語をすっかり忘れてしまって、字も読めなくなっていたので、母から勉強のためになんでもいいから日本の本を読めと言われ、私たち姉弟に漫画や絵本を買い与えてくれました。
外で遊ぶよりも、家で本を読むことが好きになった私。
だから劇の台本作りも本当に楽しくて、物語を書くこと(これは日本のアニメをよく見てたから&耳をすませばの雫に憧れていたのもあって)や言葉の言い回し、物語の進行、演出などをノートに書き綴って、時間を忘れて没頭しました。

人を笑わせる、人を楽しませるのが大好きな反面、とても緊張しいの私は、出し物や劇上演前には必ずと言っていいほど緊張から来る腹痛に苦しんでいました。

中学に上がると思春期になり、人前に出るのが怖く(腹痛悪化して過敏性腸症候群になりました)劇上演も辞めて、今度は本の世界に閉じこもります。
ええ、俗に言う中二病です。こじらせちゃったんです。
でもその合間も昼休みは仲良い友達と学校の階段の踊り場で即興コントをしてアホほど笑っていました。

その後進学した高校は美術を専門に教えてくれる高校で、周りにはとてもユニーク(褒め言葉)な友人たちができ、閉じていた殻も次第に綻んで青春を大いに謳歌しました。

が、一回打ち解けた相手には惜し気もなく変顔を披露出来る私ですが、初対面は挙動不振になってしまうため、高2の夏に強制的に人見知りを直そうと決心。
関西が誇るアミューズメントパークのバイトに繰り出します。 
私が配属された先は鮫アトラクション前のフォトブースのスタッフ。
ですが、ここはただ写真を撮るだけではなく、ご来場された方を楽しませるためにスタッフがアクションを起こすことで名物になっています。  
写真を撮るときに変顔をしたり、コントを挟んだり、ボケを入れてお客様に突っ込んで頂いたりと、普通の業務マニュアルはあるものの、スタッフは個性豊かなアクションで来場したゲストを楽しませていました。

新聞記者風のワードローブのおかげで、私もいつもと違う自分になれてオーバーリアクションで笑いを取り、お客様を楽しませることができました。

そこで気付いたのが、自分が楽しいということを知らなければ、お客様を楽しませることができないということ。
ゲストへ向ける笑顔も、本当の笑顔でないといけない。
自分も本気で楽しまなくては、相手を楽しませることができないということを身を持って感じました。

今のカメラは高性能の物ばかりで、カメラさえあれば綺麗な写真は十分撮れます。
ですが、ご家族や子どもたちの自然体の笑顔を引き出すためには、雰囲気を作らなくはいけない。

私は、子どもたちとおしゃべりしたり本気で遊んだりしてその子本来の表情を引き出すことを重視して写真を撮っています。
撮影時の楽しい気持ちを閉じ込めて、ご家族揃って明るいリビングで、写真を見て昔話に花を咲かせて頂いて、ご家族で笑顔になってくださったらこの上なく嬉しいですし、そこで私の写真、仕事は初めて成立するものだと思っています。


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