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生きてます。HSP & ASDでもね。

【2】イジメの環境

 こんにちは。

私も小学校、中学校、高校、大学と進みましたが、その中で親の仕事の関係での転校などもあったため、土地や学友の家庭環境などの雰囲気ががらりと違うという体験をしました。

その中で、おそらく私が他の児童などと「違う」ことが原因での「イジメ」が起きる環境には、共通点がありました。

それは……「ある条件で均質になった集団」

私は、小学校には受験をして入りました。
当時(1970年代)、小学校お受験みたいなブームはまだなかったにもかかわらず、です。
「勉強のできる」、制服を着た子供たちの集団の中で、私は激しいイジメに遭いました。
HSP気質がある私は制服のブラウスの角が肌に当たるのが耐えられず、特定の色の文具にこだわりがありましたが、そうしたことを知ったクラスメイト達の中には、それを「いけないこと」として学級会に取り上げるグループがいたのです。
私は学級会で追及されて裁かれ、吊し上げられた挙げ句、放課後にまで追いかけられて、学校近くの「底なし沼」と呼ばれたお堀に投げ込まれました。
通りがかりの大人に助けられなければ死んでいたかもしれません。

「イジメはいけない」という概念は、まだ、世の中には出来ていませんでした。
私は、子供ながらも、すでに、「集団の中の息苦しさ」のようなものを感じてはいましたが、自分がどれほど皆と違っているのかというような自覚はなく、皆が私を疎んじて追い詰める理由がどうしても理解できず、なんとなく「私がいけないのかな」と思っていました。

ところが、親の転勤で引っ越した先で、ごく普通の公立小学校に転校した私は、そこで、何のイジメも受けずにのびのびと小学校生活を満喫することになります。
その公立小学校には当然ながらさまざまな家庭環境の子供たちが集まっていて、服装も自由、将来に向かうベクトルもバラバラで、どんな個性の子供もそれなりに生きていける環境だったのです。

今回、小学校の例をお話ししましたが、これはその後、私が中学校、高校、大学、就職と、環境を変えて行った先でも、常に同じような状態でした。

すなわち、似たような家庭環境だったり同じような価値観だったりという人々ばかりが集められた中では、ASDやADHDやHSPのように「周囲と違う点がある」者(私)は、生きづらい状況に追い込まれることがとても多かった。それが事実です。逆に、多種多様な人々が集まった中では、とても居心地が良く、イジメられることもありませんでした。

ASD、ADHD、HSPといった気質の人間は、コミュニケーションがうまくなかったり、ひとつのことには卓越していても平均的なことができなかったりと、周囲と均質ではありません。

けれども、たとえそのような特性を持っていたとしても、もしも多様な個性が集まる場にいられるのなら、そこではあまり悪目立ちせずにいられるように思います。

一方、私が最初に進んだ小学校のように、特定の「条件」でふるいをかけ、同じ方向に向かって均質であることを求められる環境に置かれると、たちまち、その特質が「出る杭は打たれる」状態になってしまうのだと思います。

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