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生きてます。HSP & ASDでもね。

【4】ワルモノになりがち


 こんにちは。

昭和から平成になった時、私は26歳でした。
だから昭和体験は四半世紀しかありません。
それでも断言できます。
発達障害などを持つ人にとって、平成になる前の社会は、暗黒……いえ、地獄だったと。

なぜなら「発達障害」という概念がなかったからです。

概念がない、ということは、その概念が意味する事象について、当事者以外の「理解」も「許容」も「配慮」も皆無、ということ。

これは、発達障害者が自分で自分を護る以外に道はない、ということを意味するんです。
けれども、それ、ムチャクチャ暗中模索で波乱必至。
なにしろ本人にさえそれが障害だという認識がないんですから!

例えば昨日お話しました「鉄棒」の件。

早生まれで他の級友より背が低かった私は、使う人が少なめの低い鉄棒を使うことになり、他の鉄棒よりも赤錆がささくれていて、ニオイもきつくて握ると手が痛いような状態でした。

もともとのひ弱さに加えてニオイと痛さに耐えられず、ひとりだけ逆上がりができません。
できるまで居残り、という「罰」みたいな状態になっても、できないものはできない。

今なら「なぜできないのか」を理論的に説明できます。
他の人が使う鉄棒に比べて、低い方の鉄棒は錆が多く、バリもあって手が痛いという事実も含めて。
でも当時の私には、先生から「なんでできないの」と訊かれても、うまく説明できませんでした。そして、訊かれてもうまく説明できないという事態にパニックになり、泣いてしまいました。

結局、できないままで鉄棒の課題が終了になると、級友の一部から「なんでのぞみだけ逆上がりが出来なくても許されるのか?」という疑問が上がりました。

そこからさらに「苦手でも逆上がりができるようになるまで頑張った子もいるのに、のぞみだけやらなくて済むなんて不公平だ」「のぞみはずるい」「泣くなんて卑怯だ」「のぞみはワガママだ甘えている」という論調になってしまいました。

これは子供の社会の話ですが、大人の社会でも構造は同じです。

ある集団に課された課題に、うまく対処できない「個」が居る時、その「対処できないことが許され」ているように見えてしまったら?
納得の行く説明がなければ、しばしば、人はそこに「」を見出だして納得しようとします。

つまり、人と違うことが多く、しかもそれを納得のいくように説明できない発達障害者は、ワルモノにされがちなのですよ。


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