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漫画みたいな毎日。「遠い未来、子どもたちが思い出す夏の光景は。」

北海道の夏は短い。
去年も、夏日が続いたのは1週間くらいだっただろうか。

私の生まれ育った街、東京は、夏はずっと蒸し暑く、多くの家庭では、まだクーラーが付いていなかった。スイッチは押すものではなく、回すもの、強弱を調整するだけの扇風機と団扇が熱帯夜のお供。夜に夕涼みをしようと外に出ると、同じように暑くて家に居られない近所の人たちが、公園を囲む低い手すりに腰掛け、雑談で賑やかになるという光景が思い浮かぶ。他愛ない話をする大人の周りで、遊ぶ子どもたち。団地には子どもたちも多く、外に一歩でれば、遊び相手になる子どもが必ず居た。でも、誰も居なくても、ひとりで遊ぶことも楽しかった。どちらでも良かった。

暑くなる前にと、水打ちするおばあちゃんやおばさんが現れ、コンクリートの地面に水を撒く。団地の各入り口には、共用の水道があって、そこにホースを繋いで水を撒く。なかなか豪快な水打ちだ。子どもたちは、撒かれる水で出来る水のトンネルをくぐっては、水で重たくなった洋服の端っこを絞り、誰が一番濡れたかを競い合うのだった。


下町だったこともあってか、自転車でアイスキャンディーを売りにくる人もいた。調べてみると、昭和30年代には、多くのアイスキャンディー屋さんが存在していたらしい。ちなみに、私は昭和40年代の終わりに生まれているが、アイスキャンディー屋さんも紙芝居屋さんにも出会っている。

今では映画やお話の中だけの出来事のように思えるけれど、私が目にしたアイスキャンディー屋さんの保冷箱には大きな氷と、割り箸のような棒に刺さった円柱のアイスキャンディーが所狭しと詰め込まれていた。私がいつも選ぶのは、ミルク味だったような気がする。夫は私と同じ年だけれど、引き売のアイスキャンディー屋さんはやはりお話のだけの存在で、実物をみたことはないとのこと。地域差もあるのだろうか。

今のように、小玉西瓜とか、マダーボールとかの小ぶりな西瓜は存在しておらず、西瓜といえば、抱えきれないくらい大きな玉。母が大きな西瓜に包丁を入れると、現れるのは瑞々しい赤。ザクザクと音を立てて切られてく西瓜は、あっという間に小さなとんがり帽子の羅列となって、お盆に並べられる。出来るだけ甘そうな部分に目を光らせ、選ぶ西瓜を頬張る。西瓜が全部てっぺんだけで出来ていたらいいのにと、子どもたちが思う気持ちは、今も昔も変わらないだろう。

暑い空気が流れ込むと、子どもの頃の夏の記憶が次々に浮かんでは消えていくのは、自分がそれ相応の年齢になったからなのだろう。子どもの頃は、昔話をする大人たちを大人はどうしてそんなに昔の話ばかりするのだろうと、ちょっと退屈に思ったり、自分の経験からは、想像できない世界がそこに繰り広げられていて、ちょっと不思議な気持ちで眺めていた。

「それなりに時間を重ねてきたから、〈昔を懐かしい〉と思うのだろうね。」

夫の言葉を聞いて、なるほど、そうかもしれないなと思う。

「子どもたちは、自分の過ごした夏をどんな風に思い出したり、懐かしく思うのだろうね?」

「う~ん、懐かしく思うには、それなりに歳を重ねてからだろうから、彼らが、子ども時代の夏をどう思うかを、僕たちが聞くのは難しいかもしれないね。」

「あぁ、私たちは、もうこの世にいないってことね。」

「頑張って長生きしようか。」

子どもたちがいつか思い出す夏には、どんな色を成しているのだろうか。
どんな顔をして、どんな声色で、誰と共にその色を語るのだろうか。

子どもたちが過ごす北海道の短い夏。
今年はどんな色を重ねていくのだろう。

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