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学校に行かないという選択。「誰でも、最初は一年生。」

子どもに限らず、大人だって、誰でも最初は一年生だ。

小学校でも、中学校でも、高校でも、大学でも、そして社会人として社会に出ても。

この春、三年生になった二男。始業式の日に、新しい担任の先生に会うために学校へ行った。

「この度、三年生の担任になったNと申します。」

若い男性の先生だった。

「どちらの学校から、いらしたのですか?」と何処からか異動してきたのかと思って尋ねると・・・・

「この春、大学を卒業して、新任採用でこちらに赴任しました!」

おおおおおぉ~!若い!

若さに驚くあたりで、自分が既に若くないことを証明している。
なんと、先生の年齢は、私の半分以下だった。時は流れる・・・。

今の二男の学校への興味の程、家庭での過ごし方、何が好きで興味をもっているかなどを、二男が身体計測をしている間にお話しさせてもらう。

養護の先生は、引き続き、子どもたちを可愛がってくれるおばあちゃん的な先生だ。「Rくん~!!!!待ってたよ~!!!」と抱きつかんばかりの歓迎を受け、いつものように笑っている二男。二男は、養護の先生が好きなのだと思う。

私と新担任の先生が話しているのをちらちらと観察している二男。そして、なんとなく恥ずかしいのと、楽しい雰囲気を作り出そうと、面白い顔をしてみせたり、踊ったりしている。知らないうちに皆を楽しませようというエンターテイナーのようなところがあるのが、二男なのだ。兄弟でも、まったく違うので面白い。

新任の先生とお話ししながら、自分の新人時代を思い出していた。

社会人経験も、人生経験もない自分が、「先生」と呼ばれ、様々な背景をもつ子どもたちと過ごし、その保護者の対応をしなくてはならない緊張感溢れる毎日を。

私が、初めて保育園に勤務した時は、保護者の方々が、優しく見守ってくださり、何度も救われた。きっと、至らない点はたくさんあっただろう。それでも、クレームを言われることもなく、「子どもたちが、毎日を保育園で楽しく過ごしてくれていれば、それだけでいい。」と思っていてくれたのではないかと思う。

一生懸命に話を聞いてくれている担任の先生の緊張した様子を見ていたら、学校に行かない選択をしてはいるけれど、保護者として、できるだけのことはしていこう、そんな気持ちになった。

「恩返し」という言葉あるが、夫が、「何かしてもらった時には、そのしてもらった相手に直接お返しをすることにこだわらず、誰か、何処か、必要としているところに次々と循環させていくのがいいよね。そうしたら、社会が循環していくから。」と常々話している。

私も、その考え方が好きだ。

小さな循環、往復だけでなく、もっと広く、大きな環を考えて行きたい。

新任の先生に、20年以上前に保護者の方々から受け取った〈あたたかさ〉を私なりに、循環させて行きたい。

昨日、夫が、小学校に書類を提出に行き、担任の先生に初めてお会いし、その直後にこんなメールが来た。

so fresh!!!!

誰でも最初は一年生。
ドキドキしている一年生を、あたたかく見守る環境の一部でありたい。

そして、あのときの、ドキドキしながら、日々に一生懸命な自分が居たことを忘れず、自分の中に住まわせておきたいと思うのだ。

筋トレ好きの二男。
母は、日々、精神的筋トレに励んでおります。


学校に行かない選択をしたこどもたちのさらなる選択肢のため&サポートしてくれた方も私たちも、めぐりめぐって、お互いが幸せになる遣い方したいと思います!