漫画みたいな毎日。「春だけの、春だからこそ。」
春には、春だけの、春だからこその味わい方があると思う。
北海道の長い冬の終わりを告げる雪解け水が、おひさまの光を浴びて輝きながら流れていく。
あぁ、春が来たのだ。
「春の匂いしかしない!」と二男が手を広げ空気を吸い込んでいる。
家の近所には積雪場があり、そこからも山からも溶けた雪が地面に流れだしている。子どもたちは、スニーカーを長靴に履き替え、雪解け水を目指す。
まずは、葉っぱや笹舟を流す。それから、そっとそっと水溜りに入るなどして、雪解け水との距離を測っているかのように見える。
遊びは段々と大胆になり、二男と末娘は、側溝を勢いよく流れる水の中に入り、一人は水を堰き止め、もう一人は流れの中、少し離れた場所で待つ。
堰き止めた水を開放すると、勢いよく水が流れ出し、待っていた側の長靴に入るか入らないか、スレスレの量の大水がやってくる。
そのちょっとしたスリルが楽しいらしく、役割を交代しながら、何度も何度も楽しむ。母も水を堰き止める担当をしていたが、「お母さんもこっちに立ってみなよ!」と二男と末娘に誘われ、長靴に水が勢いよく当たって弾ける感覚を味わう。大人用の長靴は、丈があるので、そうそう水が長靴に入ることはないとわかってはいるが、勢いよく水が流れてくると、やはりハラハラする。
二男はこういった遊びに慣れたもので、水を石で堰き止めたり、土壁を作り、水の流れるコースを変え楽しむことも忘れない。さらに、土管の中を水が通っているので、「よーい、スタート!」と、土管の入口から笹舟や葉っぱを流し入れ、出口から出てくるのと、自分が追いつくのと、どちらが早いかと競争を繰り返し、息を弾ませている。
今日、長男が、リサイクルショップに出掛け、キャンプ用のハンモックを買って来た。練習も兼ねて、何処かに設置したいから、ちょうどよい木を探すといって森に消えていった。
しばらく雪解け水で遊んだあと、二男と末娘とで、長男・捜索隊を結成。
「お母さん、居たよ!」と二男が私を呼びにきてくれた。
森の中に長男らしき、人影発見。
白樺の樹が傷まない様にタオルを巻き付け、そこにハンモックのロープを結んで本を読み、寛いでいた。まるで自分の土地のようだが、私たちの土地ではない。毎度のことながら、偉そうだ。
捜索隊一行は、ハンモックで寛ぐ長男をそのままにし、いつもエゾアカガエルやエゾサンショウウオが卵を産む場所に観察に行く。長男は、北海道では外来種とされいるアズマヒキガエルの駆除のお手伝いをしていることもあり、生き物の春の動き始めをマメにチェックするので、二男や末娘もすっかり生き物に詳しくなった。門前の小僧たち。
いつもの産卵場所を歩いて、そろそろ何かしらの卵があるかと見ていると・・・
あった!
エゾアカガエルの卵を発見。まさに山盛り。
この無数にみえる卵からオタマジャクシとなるわけだが、成体となるのは、この中で何匹くらいいるのだろう。生き物の生存のバランスは、いつ考えても、人間の範疇を越えているなぁ、と感じる。
本来、人間が手を加えなければ、守られていたかもしれないバランスを人間自身が崩し、その結果、人間がさらに手を加えなければ、そのバランスを守れなくなっているのというのは、なんともおかしなことに思える。
7世代先の子どもたちにも、この春を、春だけの、春だからこそ味わえる、この自然を味わってほしい。
日当たりのよい水辺で、蕗が花開いていた。
一見、土が無いように見えるコンクリートの隙間からも、勢いよく伸び花開く蕗もあり、春は生命力に溢れている。
私も、日々、自分にできることをやっていこう。
「ふきのとう、あったよ~!お味噌汁にして~!」
子どもたちがふきのとうを両手いっぱい抱えている。
花より団子。
今日も、平和である。