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学校に行かないという選択。「共に育つことを喜べる幸福を。」

『毎日が夏休み』のような我が家であるが、8月というのは、〈夏休み〉らしい雰囲気が溢れる月だ。

7月の最終週には、小学校・中学校の定期的な面談も終え、先日は末娘が通う幼稚園の一泊二日のキャンプを終えた。末娘が「泊まらなくていいかな。」と言うので、我が家は日帰りでの参加だった。

幼稚園のキャンプの開催は、3年ぶりとなる。

長男や二男が在園していた時期のキャンプは、3泊4日。その期間中、私と子どもたちは、一歩も園の敷地を出ることなく過ごすのだった。

何故なら、特に長男が、キャンプ中一度も帰る気にはならなかったからだ。文字通り〈朝から晩まで遊び尽くす3泊4日〉である。

基本的に、人がたくさん集まる場に長時間滞在することや、自宅の布団で眠れないことは、私にとっては、ストレス以外の何物でもない。

しかし、この期間は、肚を括る。

幼稚園のキッチンや自身のテントでカセットコンロを使い、料理する。プールのシャワー室よりも狭いと思われる簡易シャワーのみで汗を流す。汗が流せるだけありがたい。

朝は5時から砂場で遊ぶ。長男は朝から虫を探すのに忙しい。
夜は9時には寝るよ!と子どもたちに伝え、眠るようにする。いつもと違う環境下において、寝不足は体調を崩す原因になる。只でさえ、やや興奮気味になるキャンプ中の子どもたち。他の無茶は目をつむっても、これだけは譲らなかった。

敷地内は、テントが所狭しとひしめき合い、通路を確保するのも、やっとのことである。

隣とのテントともまったく距離のない状態で、隣の人のいびきまで聞こえてくる。深夜まで大人たちがお酒を飲んで談笑する声が賑やか過ぎて、眠れない日も出てくる。家の布団で眠ることが至福である私にとって、キャンプが進むに連れて機嫌が悪くなりやすくなる。

「何人たりとも、オレの眠りを妨げるヤツは許さん・・・」


睡眠を邪魔されると殺意を覚える私にとっては、毎年、修行である。
耳栓を用意してやっと眠ることが出来る。


流川楓氏の様に、冷静ではいられない。発狂寸前である。寝かせてくれ!


夫は仕事があるが、その合間に洗濯物を持ち帰って洗濯してくれたり、食材を運んできてくれる雄鳥のような役割を担ってくれていた。園で夕飯を一緒に食べて自宅に帰り、洗濯をしたり、朝は足りないものを届けてくれたりした。そのおかげで、帰宅後の大量の洗濯物に追われることなく、最低限の片付けとなるので、とてもありがたいのだ。夫よ、ありがとう。


そして、キャンプでは、毎年、幼稚園のスタッフは子どもたちの為に、お楽しみ企画を考えてくれている。

初日は、夜のキャンプファイヤーで始まる。大きな花火も上がり、有名な花火大会にも負けないくらい、迫力満点だ。音が大きすぎて泣きだす子もいる。キャンプファイヤーの周りで踊ったり、小学生や年長さんは、事前に、スタッフと手作りした花火を披露してくれることが恒例だった。

火はいいなぁ・・・と眺める。
子どもたちも焚き火が好きだ。
火を見ていると、心が静かになる気がする。
縄文時代の記憶だろうか。

別の日には、金券でまわる〈こども縁日〉が開催され、射的や輪投げ、ヨーヨーすくいに、くじ引き、子どもたちは浴衣や甚平を纏いお祭りの雰囲気を楽しむ。子どもが主役の行事はやはり良い。子どもたちが身体全部で楽しんでいるのを感じられるから。

また別の日には、子どもたちの風船バレーボール大会、夜に大人のバレーボール大会や子どもたちのための映画上映会をしてくれる日もある。子どもたちも大人たちも真剣に、でも和気あいあいと身体を動かしてその時間を共に過ごす。子どもたちは大人の応援にも余念がない。

キャンプ中は、在園している家族だけでなく、卒園した家族や中高生も集うので、園の敷地にはびっちりとテントが隣り合わせになり、歩くのもやっととなる。

園舎の中では、同窓会さながらに小中高生が集う姿がみられる。

皆、成長しているが、小さい頃の面影を抱いている。あたかも〈昨日も一緒に遊んだね〉という様子で肩を並べて過ごす様子が、なんとも微笑ましいのだ。

子どもたちも大人たちも、ちょっと非日常であるキャンプ。
3泊4日を終える頃には、私は、心身共に限界を迎える。

くたくたのボロ雑巾のようになりながらも、救いは、子どもたちがめいっぱいキャンプを味わい、「あ~!楽しかった!」と帰宅後には、使い切ったエネルギーを回復するかのように昼寝し、楽しさに満たされる姿を見られるから、私は、頑張れたのだと思う。


しかし、この3年間は感染症拡大により、そのようなキャンプも、見送り以外の選択肢はなかった。

また最近も、感染拡大の恐れもあり、園のスタッフが、開催の有無を含めてギリギリまで話し合った結果、一泊二日を2回に分け、どちらかを選択するという形で開催の運びとなったのだ。

キャンプファイヤーとバレーボールは企画されていたものの、他の企画は特にない。

「今、この状況で、できるベスト」を考えての事と思う。「ちょっとでも幼稚園でのキャンプの雰囲気を味わってもらえたら」というスタッフの気持ちは、ありがたい以外の何物でもない。

そして、今まで行われてきたキャンプの形も、あたりまえではないと、改めて感じる。

今までにはない静かなキャンプの雰囲気を味わいながら、子どもたちと卓球をしたり、夕飯にと作って持ってきたカレーを囲む。

「静かなキャンプもいいよね。」

子どもたちも、それぞれにキャンプの雰囲気を味わっているようだ。

「20時からキャンプファイヤーです。みんな集まってね~!」というアナウンスがかかると、着火前の薪の周りに、ひとり、ふたりと、人が集まってくる。

「引っ越しした家族が、夏休みを利用して遊びに来ているから点火してもらいます!」とアナウンスがあり、積み上げられた木に火が入る。

火は夜空に向かって勢いよく燃え上がる。

離れていても、顔が照らされ熱くなるくらいだ。火の粉を目で追い空を見上げると、ひとつひとつは小さく、でもしっかりと、たくさんの星が輝きを放っている。

焚き火の向こう側に視線を向けると、見知った顔がいくつも並んでいた。

今や中学生や高校生になっている、卒園生の子どもたちだ。
もう、子どもと言うにふさわしくないくらい、大きく、逞しくなっている。毎日会うことは無くなった今も、時々、こうして園の行事で顔を合わせると、昨日も会っていたみたいに、肩を並べ、冗談を言い、笑い合う姿が微笑ましい。

本人たちに直に話しかけることはなくとも、私は夫と、「〇〇、大きくなったねぇ・・もう高校生?」などと、小さい頃幼稚園で見ていた彼らの姿を思い出しながら会話する。

長男も二男も在園当時は、小学生や中学生の学校に行かない選択をして幼稚園に来ていたお兄さんお姉さんに、たくさん可愛がってもらった。抱っこしてもらったり、小さな車に乗って押してもらったり・・・その中でも、よく二男を可愛がってくれていた男の子がキャンプファイヤーの火を囲みながら、二男に話しかけてくれていた。

「大きくなったねぇ・・・。」

その眼差しが、あたたかくて、私は泣きそうになった。

〈共に育つ〉ということは、こういうことなんだ。

幼稚園で共に時間を過ごした子どもたちは、どんなに大きくなっても、ずっと会っていなくても、「昨日も一緒に、この場所に居たよね。」と思える、そんな空気を共有し、育っている気がする。

幼かった卒園生の成長した姿を見せてもらえる事は、私たちの喜びでもある。自分の子どもの成長を喜ぶように、「あぁ、大きくなったねぇ・・・」と彼らに思いを馳せる。

同じ場で、一緒に育ってきた時間は、この日のためにあったのではないだろうか。

この喜びを味わわせてもらえることは、幸福そのものなのだと思う。

時間が経って、見えてくる景色。

修行さながらの幼稚園のキャンプだったけれど、子どもたちの中には、豊かな子ども時代の彩りとなっているのだと思う。そして、ずっと、私たちの中で色を放っていくのだろう。

この夏は、子どもたちの中にどんな彩りを遺すのだろう。

キャンプでの数々の出来事を懐かしさと共に思い出しながら、
子どもたちと西瓜を頬張る夏の午後である。






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