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漫画みたいな毎日。「生粋の天然パーマ。これでいいのだ。」

「それって、パーマなの?」

今まで何度もされてきた質問のひとつである。

私はくせっ毛だ。
生粋の天然パーマ、だ。

子どもの頃は、くせっ毛をからかわれたりすることがあり、とても嫌だった。梅雨時ともなれば、髪型が思うようになる日は皆無で、思春期には、鏡とにらめっこの日々だった。

そして、20代のはじめ。

ストレートの髪に憧れて、縮毛矯正・ストレートパーマをかけたことがあった。しかし、当時は、髪に負担をかけにくい縮毛矯正などあったかどうかも定かではなく、パーマをかけた後に、髪が傷み、前髪が根元からブチブチと切れたのだった。

さらに、三日後には、私の髪は、くせっ毛に戻っていた。

決して安くはない美容院代。
私の思惑などとは関係なく、元の形に戻るべく、くるくると楽しそうにカールする髪。

なんとも虚しく、悲しかった。

そのような体験を経て、「私の髪の毛には、ストレートが向かない。」「くせっ毛であることが、一番合っている髪質なんだ。」という結論に至った。

ここに辿り着くまでに20年以上かかった。

そこに辿り着くきっかけになったのは、ある時、美容師さんの「とても雰囲気の良いくせだから、それを活かした髪型にしましょうよ!せっかくだから!」という言葉だった。

くせっ毛に、良い雰囲気とかあるのか?!と思いつつ、美容師さんの言葉に私の思考は一変した。


「くせを矯正するのではなく、くせを活かすことができる。」

さらに、時代は流れ、最近は、くせっ毛に憧れる人が居るようである。

「くせ毛っぽく見えるパーマを、かけてください、という人がたくさんいるんですよ〜。」と、美容院に行く度に美容師さんは私の髪を切りながらそう言うのだ。さらに、「やなぎださんのくせは、とてもいい感じです。みんなこんな風にパーマをかけたがるんですよ。」と。

くせ毛風パーマの話を聞き、「時代がやっと私に追いついたのだ~!」と、ふざけて夫に話すこともあるが、あんなに嫌だったくせっ毛も、今は気に入っている。

手入れが楽。

くしゃくしゃとするだけで、それなりに見えるスタイルになる。美容師さんのアドバイスはいつも「くしゃくしゃってしておけばいい感じです!」だ。

そして、何より嬉しいのは、寝癖が目立たないことだ。寝癖なのにも関わらず、「今日の髪型、いい感じだね!」と言われたりするのである。なんだかお得だ。

今更ではあるが、気がついた。
面倒臭がりな所がある私にはピッタリの髪質ではないか!

もう、ストレートヘアには戻れない。
いや、ストレートヘアであったことは一度もなかったのだが・・・。

私の中で、髪質とは、「その人に合った髪質になっている」という結論に達している。

言い換えれば、「その人に似合う髪型にしかならない髪質」だ。

ということで、今では、私には、くせっ毛、天然パーマを活かした髪型にすることが、何に於いても無理がなく、自分に似合うものなのだろうと思っている。

それでも、人は愚かであるので、わかっていても、時に、隣の芝生は青く見え、無い物ねだりをする。

そんな愚かな人である私は、ストレートのサラサラのロングヘアを見ると、今でも、溜息が出るほど、うっとりするのだ。

長男は、私に似たらしく、くせっ毛の傾向がある。二男はサラサラストレート。末娘も、二男以上にサラサラのストレートロングヘアだ。

毎日、末娘のサラサラの髪を見ては、うっとりして、しあわせである。

ある時、末娘が私の髪をまじまじとみて言った。

「お母さんも、私みたいな髪の毛だったらいかったのに。」

ちなみに、娘の〈いかった〉というのは、〈良かった〉という意味だ。可愛いので直していない。親バカだから。

お母さんも、サラサラのストレートヘアだったら良かった?!

娘はそう思っていたのか?!

と、わけもなく、なんとなく軽くショックを受けていると、

「お母さんとおんなじがいかったのに。」

あぁ、そうか。

末娘は、くせっ毛がイヤなのではなく、「お母さんと同じがいい」と思っていたのだとわかった。

しかし、彼女の言い分は、〈私がお母さんと同じであれば良かったのに!〉ではなく、〈お母さんが私と同じであれば良かったのに!〉なのだ。

お姫様女子である。

遺伝子の順番から考えると、末娘が私に似ている、という事になるわけだが、そんなことは彼女にとってたいした問題ではなく、私にとっても重要ではない。

基本の軸はいつでも自分にあるのだ。

自分が、母と同じくせ毛でないことにがっかりすることなど微塵もなく、「私は私。これでいいのだ。」と思っているのだろう。

子どもたちというのは、皆、産まれながらにして、バカボンのパパなのだと思う。自己全肯定。

「これでいいのだ~!」

バカボンのパパ。

そして、ホントにそれでいいのだと思う。

いや、実は、子どもたちに限らず、本来の人間は、その在りようというのは、その人に合ったものなのだろう。

私のくせ毛、然り。

それでも、「お母さんも同じだったらいいのに」には、末娘の三兄妹随一のお母さんっ子ぷりが垣間見え、なんだか面白いなぁ、と眺めている。

私は、自分がくせっ毛であることが、すっかり気にならなくなった。

それでも、サラサラのストレートの末娘の髪をときながら、うっとりする。

くせっ毛の母と、サラサラのストレートヘアの末娘。

お互いに、これでいいのだ~。

これでいいのだ~!




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