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漫画みたいな毎日。「葉っぱの色はひとつじゃない。」

「雪の匂いがするよ。」と末娘が言うような冬の気配を感じる日が続いているが、今日は陽射しがあたたかく、〈ぽかぽか〉という言葉が似合う暖かな日だった。

今日は午前中、幼稚園では、「山のブランコ」と呼ばれている、山の上の方にあるブランコに乗りにいった。

朝夕の気温差が激しくなり、幼稚園の周りの森の木々は段々と色付き始めている。

緑から黄色や赤へのグラデーション。

空の青と木々の緑と黄色と赤を全身で味わうとき、些細な日々の苛々や、うまくいかないことも、まぁまぁ、そういうこともあるさ、と思えたりするから不思議だ。

自然の中に身を置くということは、そういうことなのだと思う。

木々の色付きも、誰かにコントロールすることは不可能で、
空の青さも、気温の高低も、人間のコントロールとは離れた場所にある。

そういったことを、人が生活の中の何処かで、理屈ではなく感じることは、
大人になってからも、色々な理不尽や、自分の思い通りに行かない様々な出来事を味わった時に、最後に何処かで自分を支えてくれる気がしている。

人間の在りようとして、どうにもならなくなったとき、何かを踏み留まらせてくれるんじゃないだろうか、と。

自然の中に身をおいて、人間のコントロールが届かないことを感じるとき、そこにあるのは、私が、まだ自然界の怖さを体験していないだけなのかもしれないのだが、コントロールできないという不安よりも、安堵であったりする。

自分は、自然界の一部であるという、安堵。

私は、自分のことすら、思うようにはならないちっぽけな存在であるという事実に、不思議と安心感を覚えるのだと思う。

末娘は、落ち葉の色が部分的に変わっていく様子を興味深く眺める。

「なんで落ち葉は赤くなるのと、黄色くなるのがあるの?不思議!」

嬉しそう葉っぱを手にする末娘は、視線をふと上に向けたかと思うと、声を挙げた。

「お母さん、上見て!!!色が混ざってるよ!綺麗!!!」

森の中で空を見上げると、緑と赤と黄色が、空の青と太陽の光を介して混ざり合うわけではないのに、混ざり合っているかのように、ただ互いにそこに在る。

お互いをコントロールすることなく、それぞれが美しく存在している。
大ききな風が吹き、落ち葉が舞う。
太陽の光と混ざり合って、落ち葉がくるくると踊っている。

誰にもコントロールされないと感じること。
誰かを、何かを、コントロールすることなどできないと感じること。

誰にもコントロールされない、自然界の営みは、私の中にも、少なからずある。

自然の中に身を置くとき、知らないうちにそれを感じることができる気がする。


森から空を見上げる。


ブランコまでの道のり。落ち葉の道。


山のブランコ。それなりの高さで、紅葉の中を飛ぶ感じ♪


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