グラフィックデザイナーからコミュニケーションデザイナーへ。Sun*で挑戦する”組織のデザイン”
武蔵野美術大学を卒業後、独学でグラフィックデザイナーへ
武蔵野美術大学の工芸工業デザイン学科出身で、在学中はテキスタイルデザインを専攻していました。就職氷河期だったこともあり本格的な就活はせず、大学卒業後は独学で続けていたAdobe IllustratorやAdobe Photoshopのスキルを活かして平面のデザインを作る仕事にいくつか携わりました。絵を描くことは子どもの頃から好きでしたし、仕事としてグラフィックデザインに関わる中で、本腰を入れてグラフィックデザイナーとして活動したいという気持ちを持つようになりました。初めてデザイナーとして就職したのは、商業施設のグラフィックウォールや屋外広告などの大型出力のグラフィックを主軸の商品としていた広告代理店です。かなりのハードワークを求められる環境ではありましたが、グラフィックデザイナーとしての基礎はここで身につきました。
そこを辞めたタイミングで友人から起業の誘いを受ける形で、5年ほど会社を経営したこともあります。小規模の会社ではありましたが、”自分たちで組織をどう作るか”という考え方のとっかかりを掴む経験になりました。この期間に出会った人たちとSun*で一緒に働けていたりもするので、良い縁を作ることができたと思います。会社を畳んだ後は、自分がメインで引き受けていた案件をそのまま継続する形でフリーランスへ転身します。
2019年にSun*へ入社後は、デザインディレクターやPMとして複数のプロジェクトへ参画した後、現在はアカウントマネジメントとしてプロジェクトを円滑に推進するための調整役や、ストラテジーユニットとしてデザインチームを横断的にマネジメントしつつ、コミュニケーションデザイナーとしてSun*が組織としてあるべき姿をデザインするための新しい試みを始めています。
起業をきっかけにした出会いで、デザイナーとしての視野が拡がった
会社経営への挑戦はデザイナーとしての転機でもありました。正確にはその会社へ入社してくれた人との出会いを通して大きな影響を受けました。明確な出来事があったわけではないのですが、一緒に仕事をしたり日常的にさまざまな事柄について話をする中で、デザイナーとしての表現や考え方に変化が生まれていることに気づきました。それまで自分はデザインの力で会社や世の中全体にインパクトを与えるというよりは、誰かがやりたいことの一部分を手助けするような「すでにデザインされたものの底上げをする立場」だという思い込みがありました。デザインの領域で幅を広げたりチャレンジをしていくよりも、自分が今できることをできる範囲でやればいいと考える傾向があり、言い換えると自分の可能性に制限をかけて縮こまっていたと思います。彼との出会いによってその制限を取っ払ってもらったような感覚でした。興味の対象外だった領域にも挑戦してみよう、試してみようという気持ちが生まれましたし、デザイナーとしての視野も広がったと思います。
フリーランス時代に多種多様なプロダクトやサービスのデザインに携わることができたのも、その影響があったかもしれません。特に印象に残っているのはボードゲームのデザインをしたことです。アナログなプロダクトではありますが、コマの材質は木がいいのかプラスチックがいいのかなど、ユーザーがゲームを楽しむ上での最適解は何かという観点が必要になるので、自ずとユーザー体験を考えさせられた仕事でした。他にも「PMができそう」という理由で声をかけてもらった案件で、未経験ながらプロジェクトマネジメントを担ったこともあります。
こうしてキャリアを振り返ると、グラフィックデザイン、会社経営、フリーランス時代など自分が経験してきた全てが線で繋がるようにSun*という場所でスキルとして発揮されているように思います。
家庭、組織、そして社会へ。互いに影響し合いながら形作れるモノの魅力
Sun*には知人がいたこともあり誘われる機会も何度かありましたが、元々は人と濃い関わりを持つことに臆すタイプだったのもあり、自分が組織に所属しているイメージが持てず断っていました。心境が変わったのは、出産がきっかけです。”家庭”というチームを持つことで、人と人とが影響し合うことを心から楽しんでいる自分に気づきました。この楽しさを仕事でも還元できないかという気持ちが湧いてきて、会社員になるという選択肢を考え始めました。そして入社先として自然に頭に浮かんだのがSun*でした。
フリーランス時代に、Sun*を立ち上げる以前の泰平くん(小林泰平:Sun*代表取締役)と仕事をしたこともあってどういう人かは知っていましたし、10年ぶりに会った時にも当時と変わらずどんな風に世の中をよくしたいか話す彼を見て「これから先の10年もきっと変わらない視点で世界を見てるんだろうな」という確信のような感覚を持ったことを覚えています。入社前の面談でも「泰平くんが作りたい世界を作れるように支えたい」と話した記憶があります。今思うと、Sun*は泰平くんひとりだけで引っ張っている組織じゃないし、恥ずかしいんですが(笑)、”何をするか”ではなく、”誰と働くか”という価値観が生まれたのもこのタイミングだったと思います。
入社後はデザインディレクターやPMとしていくつかのプロジェクトへ参画しました。デザインディレクターは今までの経験を活かすことができる領域でしたが、PMは初めて学ぶことばかりでした。特に開発周りの知識はほとんどなかったので、エンジニアサイドをまとめる立場のメンバーに知らない単語をひとつひとつ質問したり、とにかく手探りで1年ほどかけてカンを掴んでいったような感じでした。中でも印象に残っているのは、とある大手企業のプロジェクトを引き継いだ時です。急遽の引き継ぎだったためプロジェクトの状況を把握しきれておらず、クライアントからの信頼を得るまで時間を要しました。結果的にはそのプロジェクトを立て直し、現在でもしっかりとお付き合いのあるクライアントとして関係性を築くこともでき「やり遂げた」と思えるプロジェクトとして心に残っています。
コミュニケーションデザイナーとして”Sun*らしい”組織をデザインする
Sun*に入ってからずっとやりたかったことに”組織のデザイン”があります。インナーブランディングと言い換えられるかもしれませんが、Sun*がSun*らしく成長し続けるための組織ってどんな形なんだろうというのは考え続けていました。最初は働く環境作りに意見を出させてもらったり、人とのコミュニケーションを増やしていくようなことから始めたのですが、自部署のマネージメントに携わってからピープル・マネージメントに取り組む中で、人という軸が自分の中で重要なんだと気づきました。そこで2022年1月にインターナルコミュニケーションという部署を立ち上げ、本格的に取り組み始めています。まずは、これまで個別に沸いては消えしている組織への要望や抱えている不安が集約される場所としてその部署が機能していけばと思っています。また、従業員同士の関わりをもっと作り出すために個別で話す機会を設けたりもしています。人と関わることは組織に属する上でのメリットだと思うので、その人に合う方法で一歩を踏み出せるように後押しをしたいです。
根源にあるのは、ひとりひとりが自分らしく働ける環境を作りたいという思いです。これは入社した時から変わっていません。Sun*のメンバーはどんな風に働きたいか、何を好ましく思うかがはっきりしている人が多いです。フォーマットやルールなどの画一的な制度を作ることで組織自体は強固なものになりますが、それによって”Sun*らしさ”が失われることがないようにしたい。ひとりひとりが好き勝手にやりつつ、組織としてまとまっている環境を作るというのはチャレンジングな取り組みではありますが、Sun*の魅力を最大限に活かせる組織を作りたいですし、それを探し続けたいと思っています。
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