発達障害者を虐める正当性
私は「発達障害っぽい人」が職場でひどい扱いを受けているのを見て見ぬふりするのが耐えられず転職しました。
(戦いましたが皆、総じて「使えないんだから仕方ないよ」で、私一人で助けようとしたけど自分の仕事が回らなくなり心を病みました。)
そうすると今度は転職先で自分自身がひどい扱いを受けるようになりました。
そこには1か月しか居られませんでしたので、「仕事が出来ないやつ」と判断される時間は無かったはずです。
ただ、「空気が読めなかった」ために周りを怒らせまくっていました。
(「これ、覚えて。」と商品パンフレットをぽんと一冊渡されて、「どの辺りを集中的に覚えたら良いですか?」と質問したら「だから、覚えるの!」とキレられる…みたいな理不尽なもの、ばかりだと私は認識してますが、他の人も怒っていたので、なんか聞き返し方が変だったみたいです…)
私を攻撃していたお局さん自体にも問題が大いにあったとはいえ、頑張って周りに合わせようとしても評価が下がり続け、怒られ続け、萎縮してさらに怒られるのは本当に辛い経験でした。
その転職先を紹介してくれた友達は、私の空けた穴を埋めるために私の後釜に入ったのですが、そのお局さんはめちゃくちゃ優しくて良い人らしく、「やっぱりあんたにも問題はあったんじゃないか」とたまに言われます。
また、私に似た空気を読めない新人さんが最近入社したらしく、その人に腹が立ってストレスがやばい!って愚痴を聞かされたりもします。
その新人さんと比べたら私は全然マシらしいんですけど、その新人さんもお局さんに虐められているらしく、やはりそれは「仕方がないと思う」とのこと。
「お前がそんな感じだから悪いんだよ」という言葉と共に虐められたことがない人は無邪気だなぁと思います。
「その攻撃が正当である」という認識を叩きつけられながら心を傷つけられるのです。こんなに辛いことはありません。
空気が読めない人は「悪気があって空気を読んでない」わけではありません。
それくらい、わかるじゃないですか?
でも、「悪気がないことが一番たちが悪い。最悪の気持ちにされるこちらの身にもなるべき」ってことらしいです。
「皆、心があって、ロボじゃないの。だから相手を不愉快にさせないように気を使って生活してる。それをあんたはロボみたいにやらないから、叩かれる。」
「みんな気を使い合ってる?じゃあ私の心はどうして尊重されないの?」
「あんたが空気を読めないから。」
「悪気はないよ。努力もしてる。それはわかるでしょ?」
「悪気無いのが一番だめなんだよ。努力してるのは分かるし友達だから、可哀想だなとは思うけど、他人だったらそうは思わなかったかも。」
この友人とのやり取りを思い出すと心の底の方が冷たくなっていく感じがします。
私が悪いのか、そうだ私が悪い、なんとかして直さなきゃ!って人生で何度も自分で自分をボコボコにして、そのたびに変な行動に出て危険な目にあったり明るい未来を自ら閉ざしたり…を繰り返してきました。
皆こんな思いも努力もしてないのに、ただ「生まれつき空気が読める」から、空気読めない人を虐めても良いなんて…理不尽だなぁと感じます。
この考えに囚われ始めるとどんどん落ち込んでいくので、もう「障害者として生きていく。」みたいなマインドで行こうかなって思っています。
どんなに努力したって治らないし、努力してることを周囲にアピールして同情を集めるコミュニケーション能力も無いのです。
「この人は障害者なんだな」と思われて生きていくことで色々諦めが付けばいいなぁと思っています。
収入面については不安です。
手帳の申請中であるため、まだ無職モラトリアム期間を漂ってます。