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『東京百景/又吉直樹』と往く東京旅情

心のどこかで東京に憧れを抱いているのだと思う。そうでなければ、夜行バスで東京に行って、本を片手に隅田川のほとりで佇んだりしない。


おそらく憧れが芽生えたのは、大学生になってからだ。特に又吉さんの本を読むようになり、彼のファンになってから。『東京百景』に描かれた井の頭公園のベンチや荻窪の銭湯、阿佐ヶ谷の夜はこの上なく美しく見えた。

ぼくが出会った人の中で、一番、又吉さんは頭の中で言葉が渦巻いてる人だと思う。幼い頃から頭の中でくだらないことをめちゃくちゃ考えていたそうだ。考えていると言うよりは、喋っているという表現のほうが正しいのだろうか。

綴られたエッセイを読んでいると、人となりが伝わってくる。不器用で人見知りで、でも頭の中では面白い事に真摯に向き合っているし、仲間には面白い部分を惜しげも無くさらけ出す人なのだろう。

面白さに対して本当に真剣な人。これは、もちろん本の中の言葉を通しての印象でしかないのだけれども。エッセイ『夜を乗り越える』の中で、その誠実さが垣間見える瞬間がある。

おもしろいものはおもしろい。別に誰にわからなくてもいい。その一方で、じゃあ誰にもわからないものを売っていいんかな、とも思う。自分の性癖暴露大会やないねんから、自分だけ興奮すんなよと同業者目線では思います。ただ、話が複雑になるんですが、観客としての僕は、誰かの性癖暴露大会にも足を運ぶタイプの客なんです。誰かに伝えようなんて思わなくてもいいから、「作り手が一番興奮するものを見せてくれ」それで自分も興奮したいと思う。作る側と受ける側で立ち位置が変わるとスタンスが変わってしまうんです。ちょっとややこしくなってきましたが、散々好きな表現やっておいて、それで「売れない」とかは言わんといて欲しいと思います。一番気持ちいいことしてるんやから、「売りたい」というなら最善を尽くして欲しい。――『夜を乗り越える』より

信じている面白さを貫くのも美しいし、世間にウケるものを作るのも大事だと思う。人に評価してもらう時、特に評価されるもので食っていこうという人には、そのバランスの葛藤があるだろう。内面の葛藤を飾らない言葉で伝える真摯さに、人間的な魅力を感じる。

捨てたらあかんもん、絶対に捨てたくないから、ざるの網目細かくしてるんですよ。ほんなら、ざるに無駄なもんもたくさん入ってくるかもしらんけど、こんなもん僕だって、いつでも捨てられるんですよ。捨てられることだけを誇らんといて下さいよ――『火花』より


実際の井の頭公園には、又吉さんのエッセイを通して想像する人の数の8倍くらい人がいた。又吉さんは日々どんな気持ちでベンチに座っていたのだろうか。池に居る鳥の数より、ハリボテのアヒルボートの数の方が多かった。



東京には美味しいメロンフロートがある。


又吉直樹の作品が好きな理由のひとつは、笑えるところ。文章を見て声を出して笑う経験は、又吉さんの作品を読むまでほとんどなかったように思う。『火花』や『劇場』のような純文学でさえ読むときは笑いが出る。

他の業界で生きて、そして筆をとった人には魅力的な文章を書く人が多い印象がある。又吉さんもそうだし、星野源さんも然り。噂によるとクリープハイプの尾崎世界観さんもスゴいらしい。

『東京百景』の冒頭で「東京は果てしなく残酷で時折楽しく稀に優しい」という語りがある。何回も東京を訪れたが、いまだに残酷な部分を見つけることが出来ないでいる。きっとそれは住んで、生きなければわからない感触なんだろう。

東京への憧れはまだまだ尽きない。
今度は又吉さんの好きな太宰治の『東京八景』でも読みながら、また違う景色を見に行きたいと思う。

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