幸せになっても、落ちない染みと。
随分と遠くへ来たように感じる。とはいえ、ここは私の部屋で、見えるのはいつもの天井で。
先日、毎月のトリートメントのために向かった美容院で暇つぶしに渡された、楽天マガジンのページが開かれたiPad。有名な女性誌をひととおり流し読みして、巻末の今月の占いを読む。蠍座の欄には“自由に生きよ”と書かれていたのでなるほどと思い、そのまま目を走らせると“この春は副業を始めてみたり、会社を辞めてフリーになるのも視野に入れて”とのこと。ここまで読んで、自分が既にこの雑誌がターゲットにしている20代女性の一般人生のイメージから外れていることを突きつけられた気がして、それとなく萎えた。
他に萎えたことといえば、漫画『サブスク彼女』を読んで、そのラストにずっとイライラしていた。「誰にも選ばれない」ことをコンプレックスに感じている主人公が、「誰かに選ばれたこと」を救済として描いているのがいかにもフィクションっぽくてすごく嫌だった。「誰にも選ばれない」から、「選ばれること以外」で生きていくことに落としどころをつけていくことが人生なのでは?あるいは、選ばれるための価値を、死ぬ気の努力で作っていくしかないのでは。オーダーメイドの命綱を必要としない人生が羨ましい。私は一生をかけて、自分で自分を守るための武器を作らなければ人生を歩んでこれなかった人のために、何かを創りたいと思った。
社会では、いい人は喰われる。優しい人、じゃなくていい人は。恋愛も、それ以外も。だったら喰う側に立つしかないと思う。こういう気持ちは、既に私の中では死んだと思っていたけれど、それはなくなったんじゃなくて血肉になって今も巡っているんだと漫画を読んで感じた。
大学1年生の時に、「愛されたい」と泣いていた私に「“誰かに必要とされたい”欲がある限り、お前の欲は利用されるんだよ」と、教えてくれたBARの常連のお姉さん。「じゃあどうしたらいいんですか」「愛されたいじゃなくて本当に愛したいと思う人に会えるまで待つしかない」あの人、今何してるのかな。
半年前に自分を取り巻いていたものが、サラサラと砂のように消えていって、今はまた別の空気が私を包んでいる。会社を辞めて、長年付き合っていた恋人とは別れた。黒ばかりだった喪服ボックスのようなクローゼットには少しだけ色が加わり、髪も伸びた。私にとって、人生のさまざまなことが変わったのは、新しい風が吹いたのではなくて、“そう”しなくても、良くなったから。
私が私を“そう”じゃなくても自分を愛せるようになったし、“そう”じゃなくても愛してくれる居場所もたくさん見つかった。でも、囚われている渦中でもがくしかなかった過程を、ほかでもない自分が否定してしまうことだけはやめてあげようと決めている。
「生きることは」なんて大きな主語は誤解を呼ぶかもしれないけれど、概してその人にかけられた呪いを解いていく作業だ。5年で解ける呪いも、100年かかっても解けない呪いもあると思う。反対に、誰かの何気ない一言で3秒で溶けてしまう呪いもあるのかもしれない。他の誰でもない自分の言葉が、自分の首を絞めることだってある。故郷のこと、家族のこと、容姿のこと、学歴のこと、人間関係のこと、お金のこと、自分自身ですら形容できない心の奥に沈んでいる何かのこと。呪いの形は人によって違う。
それでも、大概人の一生なんてものはその人が背負っている使命との長い長い戦いなんじゃないか。人生は全然平等なんかじゃないけれど、この春の生温い風は私の呪いの輪郭を少しだけ溶かしているような気がする。
2023.04.02
すなくじら
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