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好きなものほど誰にも見せたくないわたしはSNSとの相性が悪い

SNS最盛期の昨今、繋がれない人っていると思いますか。繋がる、の定義には色々あると思うんですけど「特定の誰かと直接連絡を取る」ことを繋がると言うなればたぶんもう、繋がれない人はいないんじゃないかなと、そんな世の中。地球の裏側にいる人と通話できるって、シンプルにすごくない?芸能人とかも、人生をかけて死ぬほど粘ればいけそうなくらい。

会社の社内MVPをとった先輩のビデオレターをつくることになって、「家族からのメッセージをサプライズで集めてこい」という無茶苦茶な上司命令の元、先輩の旦那さんと友人何名かをネット上から探すことになった。

これが驚くことになんとか連絡が取れちゃって、まあしかもお母さんとお父さんにまでメッセージをもらえることになって、なんというか、すごいを通り越して少し怖くなった。やばいぜ現代。

とっかかりはインスタだった。たまたまアカウントに鍵がかかっていなかったのも運がよかった(?)のかも。ちなみに私は会社とプライベートをこれでもかというくらいきっちり分けたいタイプなので、インスタは会社の人に教えてない。

ちなみに私はインスタのアカウントを2個持っているのだけど、どっちも鍵付きで、両方いわゆる「リア垢」である。そして、一見どっちも稼働しているようにみえて、実は片方しか稼働していない。

もともとひとつだったアカウントに、同じ学校のそんなに仲良くなかった人たちからばんばんフォローがきて、何にも考えずにフォロバしていくうちに段々と子どもとか結婚とか、マウント合戦みたいなタイムライン(わたしの穿った見方)に辟易して、小規模なアカウントを別で作ったのが始まりだった。


そんなに仲良くない相手からの「インスタ教えて」に対応するためのフェイクみたいな役割となってしまったリア垢Aを隠れ蓑に、リア垢Bで投稿を続けるプロ陰キャっぷりだ。ちなみにラインの友達の数は家族込みで11人しかいない。

そんな私も人並みにはSNSが好きだし、仕事上恩恵を受けている部分も大いにある。ただ最近、私が発信したいことってなんだろう、私は何を人と共有したいんだろう、と思ってしまう瞬間がある。


恋人との写真?友達とのツーショット?お気に入りの洋服?ポエム?どれも微妙に、しっくりこないのだ。

上記はインスタにおける一例ではあるが、たとえばTwitterだとしても、よかった映画、好きな本、面白かったゲーム……などなどもちろん紹介することはあるにしても、それはコンテンツの共有であって、現実世界の自分の核となる部分にかければ近いほど、私はSNSに発信することができない。


なんというか、これだけ自分のことをnoteに文章にして曝け出しておいていて何言ってるんだろう、と思われることは承知の上で、それは匿名の延長線だから出来ること、なんだと思う。格好つけているわけではなくて、ある意味で自分のままでいなくて良いから、等身大でいられるというか。実名×顔写真だと、わたしの場合はプライドが邪魔をしてきっと背伸びをする。


あとは、根本的に独占欲がめちゃくちゃに強いので自分の大切なものや記憶ほど人と共有したいという気持ちが湧かなくなる。大事なものほど、他人に見せたくない。人が持っているステレオタイプな幸せにハマってしまうこと、その渦中にいる自分が何よりも怖い。仮に、側から見て私の思う幸せが、「特別な個性もなく当たり前のもの」であったとしても(そして往々にしてそうなんだと思う)、それを誰かに突きつけられて傷つくことのない距離に1人だけで浸っていたい。いや、厨二病か……。どうしようもない臆病だ。


たぶん私は人より「私の幸せや幸福を一緒に誰かが喜んでくれる」という概念が希薄なんだと思う。それは自己肯定感が低いということではなくて、「他人はそれ程自分のことを見ていない」という思考に由来している。


大概のことは自意識の過剰で、私があまり他人に興味がないように、他人も私に興味がないのだと思っている。血のつながった家族や、育ての親以外で自分にほんとうに向き合ってくれる相手がいたとしたら、友達だろうと恋人だろうと教師だろうと、それは奇跡に近いことなんじゃないか。


最後は少し話が脱線したが、SNSであろうとリアルであろうと当人が幸福度高く生きていく手段の一つがそこにあるなら、結局はなんでもいいのだ。承認欲求を満たすツールであろうと、仲間探しのツールであろうと、そこにある日常を豊かにするための手法がSNSなのだから。あるいはひとによってはその逆で、SNSがもはや一種の世界、当人にとってのリアルなのかもしれない。

息の詰まるようなこの日常のなかで、自分の世界を少しだけあたたかくしてくれるお守りを探して、今日もスマホをタップする。相変わらずSNSとの相性は悪いけれど。何が好きで、何が嫌いか。何を見せたくて、何を見せたくないのか。明日へと踏み出す自分に対する解像度が、また少しだけ上がった気がした。






2022.05.17
すなくじら

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