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本日、プレスリリース

こんにちは。昨日(23日)は、26年間運行してきたJR木次線の観光トロッコ列車「奥出雲おろち号」のラストランで、沿線には大勢の人が集まって別れを惜しみました。
さて、急ごしらえのこのnoteですが、思いがけず多くの方にフォロー、スキをしていただき、ありがとうございます。
本日、版元のハーベスト出版(島根県松江市)からプレスリリースが行われますので、その内容をこちらでもご紹介します。

表紙のイラストは岡本和泉さん(Produce any Colour TaIZ)

書籍【『砂の器』と木次線】 23年12月中旬 発売開始
 
日本映画屈指の名作『砂の器』公開から50年。
膨大な資料と証言から浮かび上がる、1974(昭和49)年の島根・木次線沿線ロケの実相。
風土・人・時代と作品との関わりから、ローカル鉄道と地域の記憶をつなぐ。
 
●      2024年は映画『砂の器』の製作、公開から50年
原作者・松本清張をして「原作を超えた」と言わしめた日本映画の名作『砂の器』(1974年、監督:野村芳太郎、脚本:橋本忍・山田洋次)。作品の鍵となる「亀嵩」を舞台としたパートは、1974年の夏に木次線沿線で撮影が行われました。伝説の名シーンはいかにして生まれたのか?本書では「亀嵩」パートに焦点を絞り、地域の視点から『砂の器』と木次線の関わりを探りました。
●      あの映像はどこで撮影されたのか?シーンごとに徹底分析
映画の前半と後半に2度登場する「亀嵩」。それぞれの映像をシーンごとに細かく分析、現地を歩いて改めて撮影場所を特定するとともに、シナリオや監督らが遺した資料から映像に込めた意図や演出技法に迫ります。ベストな映像を追求するため、作り手たちは亀嵩地区に限らず、広く木次線沿線の各地でロケを行っていたことが明らかに。沿線のロケ地マップも収録しました。
●      清張はどうして亀嵩を知ったのか?映画化までの紆余曲折を追う
松本清張が原作を執筆したのは1960年。なぜ当時は全国的に知られていなかった亀嵩という土地を取り上げることができたのでしょうか?執筆を支えた意外な人たちとは?さらに映画化までの紆余曲折を追う中で、この地域との関わりも見えてきました。
●      ロケに協力し、見守った木次線沿線の人々の記憶を掘り起こす
1974年の晩夏に行われた島根ロケには、木次線沿線の人々がさまざまな形で協力しています。ロケに関わった地域の人々を取材し、生きた証言や資料を集めました。これまであまり語られなかった数々のエピソードからロケの実相を浮かび上がらせ、俳優・スタッフと住民との自然体の交流が生んだ一体感、感動を読者へダイレクトに届けます。貴重な写真も多数掲載しています。
●      映像に刻まれた70年代の木次線
映画では八川駅と出雲八代駅を「亀嵩駅」に見立てて撮影が行われました。実際の亀嵩駅がスクリーンに登場しなかったのは、撮影当時の木次線と地域が置かれた状況と関係しています。1970年代は100年以上続く木次線の歴史の中でも、とりわけその姿が大きく変わろうとしていた時代でした。木次線は地域にとってどんな存在だったのか、その激動の歩みを紐解きつつ考察します。
●      書籍情報
【『砂の器』と木次線】 村田英治 著 四六判 並製本 322P \1,800+税 
ISBN 978-4-86456-496-0 カバー・本文挿絵:岡本和泉(Produce any Colour TaIZ) 


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