小林秀雄 岡潔「人間の建設」 ~思索と言葉~
「人間の建設」を読み返した。小林秀雄と岡潔、文系と理系の天才二人が繰り広げる知的な雑談を収めた対談集で、学問における「情緒」の大切さを説いた内容は、読み返すたびに背筋が伸びる思いがする。この本とは2年ほど前、スケザネさんという書評系Youtuberの方が紹介されている動画を通じて出会った。もうかれこれ5~6回は読んでいるほどの愛読書だ。そして自分の哲学、生き方を作り上げていく上で重要な一冊でもある。おそらく今後何十回何百回と読み返すのだろうし、今回は一つのことに絞って感想を書いてみようと思う。取り上げたいのは岡潔の次の言葉。
長く伸びやかな思考ができようになりたいなとは常日頃から思っている。周りでそういうことができる人を見ると、すごいなぁと羨ましく思う。自分はそういったことが不得手で、理路整然としない断片的な思考をあちこちに散りばめることぐらいにしか能がない。今しているようなnote記事を書くにしても、長い文章が書けない。思索が続いていかない。早い段階でブチっと途切れたきりそのままということがしばしば。言葉は思索の材料。様々な種類の食材があれば、豪勢な料理を作ることができるように、色々な言葉を知っていればそれだけ深い思索も可能になるはず。しかし、日常的に本を読んだりして言葉にはかなりの量触れていると思うのだけれど、自分は自分の思考に自信が持てない。
岡潔の言葉はそんな自分に助け舟を出してくれた。この状況を改善するには、自分の言葉を掬い続けることが大事だと気づいた。インプットばかりして、それによって得た感動を自分の言葉で人に話したり、書き綴ってみたり、アウトプットすることを軽んじていてはいけない。インプットはただ脳内に情報を泳がせているだけに過ぎず、情報たちはイキの良い魚のように気が付けばどこかへ逃げてしまう。それを自分の言葉で掬い上げてやることで、初めて自分の思索に繋がっていくのだと思う。岡潔のような天才であっても、言葉にすることなしには思索ができないという。自分なんかだと尚更だろう。今回気づけたことは、取るに足らない当たり前のことのようだけれど、すごく自分の中で腑に落ちた。
とにかく今の自分に必要なのは、書くこと。内から言葉を生み出すこと。ノートを引っ張り出してきて、刹那的な思考でも何でもそこにぶちまけることだ。頭の中に溶けている透明な思考を言葉にして沈殿させる。そしてその澱をどんどん堆積させ続ける。それが自分の目指す長く深い思索に繋がっていくのだと思った。
理想とする思索への希望を持てたことが、今回読み返して良かったなと思うことの一つ。同じ書物でも受け取ることはその時の自分によって異なる。これこそ再読の醍醐味だなと思う。
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