家族が余命6ヶ月を言い渡された日(前編)
ある日突然、愛する家族が余命宣告をうけたらあなたはどうするだろうか。
あまりにも唐突すぎて恐らく何もできない可能性が高いし、情けない話、普段営業でイレギュラー対応には慣れていると思っていた僕でさえ、一瞬思考が完全停止した。
とは言え、現在ガン自体はそれほど珍しい病気ではなくなってきた。
もちろん病巣部位とステージ(進行度)にもよるが、ガンを宣告されただけではこの世の終わりと感じる必要はないと思っている。
しかし、僕の家族の場合は状況が違った。
もはや手術で病巣を取り除く事も出来ず、抗がん剤をしなければ3ヶ月、しても6ヶ月の余命だと医師に宣告されたのだ。
果たしてこの宣告を受けた時、本人だけでなく家族もどれほど冷静にいられるだろうか。
上で述べたように、僕はある程度冷静に受け止められると思っていた。
しかし、考えてみれば当たり前だが、想像と現実はかなり違った。
正しいとわかっていてもそれが出来ないなんてザラだし、そこに感情がある限り理屈通りには進まなかった。
余命宣告
ある日、健康診断を終えた父親が胃に違和感を覚えていた。
一度20年以上前に胃がんになっていたが、胃の大部分を切除することで今まで再発することもなくとても元気に暮らしていた。
健康診断では問題なしと言われていた事も少なからず影響し、病院に行くのが少し遅れてしまったのだろう。
やっと病院に行ったときにはすでにガンはステージ4にまで進んでおり、もう病巣を切除することすら意味を持たなくなっていた。
(もう少し正確に言うと、切除しても後述する理由から余命を伸ばす事が出来ないので手術の意味がないと判断された)
とても悪いことに、20年前に切除した後の、ほんの少しだけ残った小さな胃はガンに侵されて切除する事が出来ないだけでなく、ガンが胃壁を食い破って腹腔内に散らばっていた。
いわゆる「腹膜播種」という状態だった。
腹膜播種(ふくまくはしゅ)とは
腹膜播種ときいてもイメージがわかない人も多いと思う。
通常ガン細胞は特定の場所で徐々に増えていく。
しかし、腹膜播種は「濡れた手を勢いよく振った時の様に」小さなガン細胞が腹腔内(お腹の中)に一気に散らばった状態を言う。
あまりにも多くの個所に散らばりすぎて一般的には手術は不可能とされ、抗ガン剤を飲んでも進行を遅らせる事くらいしかできない。
そもそもがん自体が大量にあるため、進行を遅らせたとしても余命をあまり延ばす事ができない。
結果、非常に短い余命である3か月~6か月の宣告を受ける事になる。
余命宣告を受ける際の注意点
医者は余命宣告をする際、感情を交えずに事実のみを伝える。
もちろんそれは知っていたが、あまりにも事務的で宣告された側の気持ちを無視する無機質な言いぶりに怒りさえ覚えた。
ガン治療の最高峰と言われる施設だったのに、こちらが事実を受け止める時間すら与えてもらえず、矢継ぎ早に決断を迫られた事にはただただ失望した。
両親だけで検査結果を聞くと、促されるままに意図しない決断をさせられてしまう事はわかっていたので、当日は会社を休んで同席した。
そして残念ながらその選択は正解だった。
余命宣告を受ける際、僕が注意した点を記載する。
1.余命宣告を受ける人だけでは行かない
2.最低2名、できれば3名で行く
3.成人男性がいた方が良い
4.録音をする(医師に許可を取ったうえで)
僕の場合は父親が余命宣告を受けたので、宣告時には父親、母親、僕の3人。
なぜ3人なのか。
宣告を受けた時、父親は努めて冷静になろうとしていたが、動揺が見て分かった。
母親は予想通り泣きだしてしまい、そのケアに僕が当たることになった。
3人で余命宣告に臨んだのは、こうなることがわかっていたのと、余命宣告をされる時には僕もいた方が医師にいろいろと聞けるだろうと思っていた為だ。(しかし冒頭の通り、宣告時は思考停止してしまい、質問を1,2するだけで精一杯だった)
繰り返しになるが、もし2人の場合は宣告された父親が母親を慰めるという状況になり、父親に考える時間を与えることができない。
余命宣告をされた人が他の人を慰めるというのは見ていてとても辛いので、できれば3人を推奨したい。
余命宣告、その後
冒頭に書いた通り、抗がん剤を実施した場合で6か月、しない場合は3か月の余命とされ、とどめとばかり「来年の桜は見ることができない」とダメ押しまでされた。
この時点で僕たちには選択肢が3つあった。
1.抗がん剤を受けない(余命3か月)
2.抗がん剤を受ける(余命6か月)
3.違う病院に転院する
父親には抗がん剤を受ける意思があったので、この時点で主な選択肢は2か3となっていた。
ただし、転院した場合は「もうこの病院には戻って来る事はできない」と医師に言われた。
病院のルールである事は理解できたが、誤解を恐れずに言えば脅しとも取れる威圧的な言い方だった。
後編ではこの点にももう少し詳しく触れていきたい。
転院
詳しくは後編に記載するが、結論から書くと父親は転院を選び、約1年経った今も元気に生活している。
奇跡的に腹膜播種はきれいに消え、先週の腹水診断でもガン細胞は検出されなかった。
胃がんは当然残ったままだが、具体的な余命とは無縁になった。
このnoteで伝えたい事は以下の通り。
・例え余命半年と宣言されても決して諦めない
・医学は万能ではないし、医者もまた然り
・命の選択を他人任せにしてはいけない。
正直、かなり奇跡が重なったと言えるが、行動をしなければ奇跡も起きない。あきらめずに行動して欲しい。
なお、誤解しないで欲しいのは、転院後に受けた治療は民間療法ではない。
続編は以下からどうぞ
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