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実はこういうの、本当に困るのって二回目からだったりするよね。【名前について】

 なつひとり(夏人鳥)です。
半分見切り発車で始めた日記noteですが、早くも路頭に迷っています。

 ブログやSNSはテーマを一貫させたほうが成功するとはわかっていますが、器用貧乏というか多趣味というか飽き性で中途半端なもんで。あれやこれやと書きたいものをスマホのメモや手帳にちょろっと書いていますが、なんか今じゃない感。
 自己紹介は済んだけど、さあ誰にどう話しかけようかとクラス替えの次の日の朝にソワソワする感覚。そんな青春があったような、なかったような……

 そんな朧気な学生生活の破片として残っているのが、この「夏人鳥」という名前です。

 高校生で文芸部に所属した際に使ったペンネームが「人鳥(じんちょう)」でした。ペンギンの和名だそうです。なんでかというと、かわいいし、推しが好きな動物だったから。なんて単純。

 本当は小説が書きたくて入った文芸部でしたが、結果という結果も残せず。しかし、たまたまぽんと詠んだ短歌がコンクールで選ばれました。時間をかけて頑張ったものより評価され拍子ぬけしましたが、ほかの選抜者の歌を見ているうちに案外面白いかもしれないと思いはじめ、Twitterでつぶやくようになりました。

 そこでも「人鳥」という名前でつぶやいていたのですが、なんか味気ない。名前として呼びにくい感じもする。そこで名前を変えることにしたんです。なにがいいかなとぽちぽちつぶやいていると、短歌で繋がった一人のフォロワーさんからこんなDMが届きました。
 「こんにちは。突然のDM失礼いたします。新しい名前の候補、考えさせていただいたので参考に……
 そしてその下に3スクロールほど続くDM。いままでの私の作品やTwitterのやり取りから得た印象から選んだ漢字や読みなど一文字一文字細やかに書いてありました。その熱量に感動していると、「」という字は残してほしいという内容がありました。自由でのびのびとした印象が私の作品から感じられるとのこと。飛べない鳥の名前だったのに。

 この出来事は私のなかで頭を殴られたような衝撃でした。こんなぽちっとタイピングで出てくるような文字に、たくさんの意味を見出だして選別しようとする人がいること。それをダイレクトに実感できたことがすごく嬉しかったんです。それと同時に、言葉の力をこれほど信じ、向き合う人と出会い、後ろめたい気持ちにもなりました。文章を書く身で、言葉をこれほど信じたことがあったかなと。
 その喜びと自由でいること忘れないように、そして自戒として、筆名には「」という字を残しました。そして今になって、朧気になっていく学生時代に縋りつくように「人鳥」にまた帰ってきました。

 「夏」はというと、夏生まれだからです。読みもこっちが呼びやすいから。やっぱり単純さは成長していません。でも自由だし、いいよね。


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