生きているということ
谷川俊太郎『生きる』の一節。
今日、本当に命のかけがえのなさを知った
生きていて大変なことは沢山ある
時に死んだら楽なのかと思うときもある
自分でいることが嫌になり、自分が嫌いでそれを治せないことに腹が立ち、考えることも嫌になる。
問題は出てくるばかりで永遠に終わらない。
だから、自分であることをやめれば終わって、楽になるんじゃないか。
時々そう思う。
自分が正しいのかわからないけれど、少なくとも周りに誰かいるのなら
その人は自分がこの世からいなくなったら悲しむ。
わたしの恋人がメッセージで
死ねなかった
と言った。
怖くなって悲しくなって胸が粉々になりそうなじんわりとしたものが広がって
涙が止まらなくなった。
それで分かったことは、
自分が本気でこの人にいなくなってほしくないんだ、ということ。
その後彼の死ぬという選択肢の最後の砦が私だったと言われた。
文頭に戻ろう。
谷川俊太郎『生きる』を改めて読んで、小学校時代には思わなかった様々なことを思った。
鳥のさえずりを聴くことも、大好きな人と旅行することも、やりたいことがまだ沢山あって、見てない景色も沢山ある。
生きることが素晴らしいとはまだ断言できないけれど、少なくとも上記のことができる可能性は無くなるよね。
それに、何より大好きな人が居なくなってしまったら悲しいんだ。とてつもなく悲しいんだ。
未来こうやって一緒に生きていけたらいいなと考えていたことが全て壊れてしまう。
一緒にしたいこと沢山あるのに、出来なくなってしまう。
人間の脆さを知った。
他人の苦しみや、悲しみを知ってきた。
救いたいという気持ちが芽生えてきた。
みんな葛藤の中で生きている。
明日も生きよう、苦しいことも沢山あるけれど、生きていこう。
少しでも苦しい人に届いてほしい。
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