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私の考える、映画の楽しさ。

さいしょに

こんにちは。
映画と音楽を摂取して生きている人間、すみた。です。
私は「映画好き」を自称していますが
今回は、そんな私の考える映画の楽しさについて書いてみようと思います。


単純にストーリーを楽しむ

まずは難しいことを一切考えず、
ただ単純にその作品のストーリーを楽しむ

これはきっと誰もが、なにも意識せずに
行っていることのひとつでしょう。
何気なくつけたテレビ、
流行りのアニメやドラマ。
話題の映画に、久しぶりに読んでみた小説。

「誰が犯人なんだろう」
「このふたりはどうなるんだろう」
「どんな結末が待っているんだろう」

そんなふうに、純粋にストーリーを楽しむ
当たり前のように感じるかもしれないけれど
この楽しみを通してさらにその先に
新たな楽しみがあるように思います。


感情を移入させる

メインに描かれている主人公に
その主人公を支える友達に
いつも見守ってくれている家族に
かけがえのない相棒に、、、

映画を観る人のバックグラウンドによって
感情移入するキャラクターは千差万別でしょう。

私が考えるに、感情移入には大きく分けて
2つのパターンがあると思っています。

①自分がそのキャラクターと同じことに直面したら

例えば
主人公にとって大好きで大切な人を失ってしまう」
という悲しいシーンがあるとします。

この感情移入のパターンでは
そのキャラクターが直面している状況を
自分に置き換えて
今の自分のところまで持ってきて
移入します。

「主人公が大好きで大切な人を失ってしまう」
というシーン
→その時もし好きな人、付き合ってる人が
 いた場合、その人が頭に浮かぶ
「自分の現実世界にいるその人を
  失ってしまう」というふうに置き換わる
 
→その人を失いたくない、信じられない、
 受け入れられない! 
→悲しさで涙が出てくる

この感情移入のパターンのいいところは
「自分だったらどうするか、を“今”考えられる」
というところだと思います。

②自分がそのキャラクターだったら

この感情移入のパターンは言葉で説明するのが難しいなぁ
といつも思っています。
(うまく伝わるか心配笑)
 
簡単に言うと
「完全に自分がそのキャラクター内に入っている」
ような感覚
です。

そのキャラクターの状況を自分に置き換えるのではなく
自分はその映画内で起こったことに対して
「そのキャラクターとして直面している」ように捉えている

といったような感じです(言語化が難しい、、、笑)

「主人公が大好きで大切な人を失ってしまう」
というシーン
→自分はその映画内で実際にその状況に
 直面している主人公自身(という認識)

→(①のパターンとは違い、現実の自分の
  大切な人は思い浮かべない)
→その主人公として、その主人公の大切な人を
 失ってしまう(という感覚)
→その主人公として、悲しい、失いたくない、
 受け入れられない!
→悲しさ、何もできないもどかしさ、喪失感で涙がでる

この感情移入のパターンのいいところは
「自分ではない他の誰かになって世界を見れる」
というところだと思います。

このように2つに分けて考えてみましたが
以下ではもう少し詳しく考えてみたいと思います。


「自分だったらどうするか」 ”今の僕”で考える

前の項の感情移入パターン①の続きになりますが
感情移入とまではいかなくても
「自分だったら、、」と考えたことがある人は
多いのではないでしょうか?

・仲の良い友人との喧嘩
・両親や兄弟姉妹とのぶつかり合い
・恋人とのすれ違い
・予期せぬ事故に出くわした時
・災害など自然の力との対峙
・大切な人を失いそうになってしまったとき
・自分が、家族が、大切な人が
 不治の病になってしまったとき
・大きな決断を迫られた時、、、etc、、、

どんなジャンルの作品だったとしても
「自分だったら」と考えられる場面は
多くあると思います。

普段の生活でもよく経験するようなことから
今までの人生では
経験したことのないようなことまで。

「どうするか」「どんな行動をするか」
「何を思うか」「何を伝えるか」
「何を選択するか」

日常生活でもよく起こるようなことであれば
自分の今までの経験と比較したりしながら
日常に生かすことが出来ます。

反対に、
人生で何回かしか出会わないであろうこと
自分が未だ経験したことのないことに関しては
自分の人生で実際に直面する前に
「自分だったら」を考える機会になる
でしょう。

もし僕が、私が、大切な人を失ったら、、、
と考えたら、想像を超える悲しみが訪れることを
”今”知ることができる

そのときはいつか訪れてしまうかもしれないし
そうではないかもしれない。
でも、その人を出来る限りの愛で、
想いで、大事に大切にしよう
と、”今”思うことはできる

それを教えてくれる力が
映画にはあると思います。

とはいえ、
映画で見たような状況には出会わないかもしれない。
出会ったとしても
その時の自分は成長してしまっていて
考えていたようなこととは違うことを
考えるかもしれない。

でも、その映画を観たそのときの
「今の自分が考えたこと」
そのときの「今の自分」の生活は、日常は、
人生は、彩られるかもしれない。

「今の自分が考えたこと」は紛れもなく
その時の自分そのものであって
今後自分が変わっていったとしても
あの時はあんなことを考えていたなぁ
と思い出したり
さらに新しい何かに出会えるかもしれない。

そんなきっかけを映画はくれる、と私は思っています。


「もしも僕がきみだったら」 知らない世界と出会う

感情移入の項で書いた感情移入パターン②の続きになりますが、
「完全に自分がそのキャラクター内に入っている」
ような感覚
で映画を観る方、観たことがある方は
いるでしょうか。

私は普段この感覚で映画を観ることが
意図せず多いです。こんなふうに文字にすると
分かりにくいか思いますがきっと知らぬ間に
私と同じような感覚で観ている方も
少なくないのではないかと考えています。

相変わらず説明が難しいのですが、
前項の「自分だったらどうするか」の
「自分だったら」が
 「そのキャラクターが自分だったら」
→「そのキャラクター(の状況に直面している
  の)が自分だったら」

だとすると
それに対して、
「完全に自分がそのキャラクター内に入っている」ような感覚というのは  
 「自分がそのキャラクターだったら」
→「自分が(実際に)そのキャラクター(として
  その状況に直面しているの)だったら」
ということになります。


拙い絵で申し訳ないですが、イメージ図です。😅笑


自分ではない、誰かになってみたい。

今の僕ではない、
違った僕の人生を歩いてみたい。

今の仕事、人生も好きだけど
本当はあの仕事をやってみたかったな。

あの夢も叶えたかったな。
やりたいことの全てやってみたかったな。
そんなふうに思ったことはないですか?

あのときの選択を変えていたら
僕はあの夢を叶えていたかな。
パラレルワールドってあったりするのかな。
あるとしたらその世界の僕は
どんな人生を歩いているかな。
なんて考えたことはないですか?

僕の生きるこの世界には
魔法もないしスーパーパワーもない。
ピンチに現れては助けてくれる、
親愛なる隣人もいなければ
空飛ぶスーパーヒーローもいない。
どんなに待っても梟が運ぶ手紙は届かない。

でも、無数にある映画の中で、
「もしも僕がきみだったら」
僕はどんな”僕”にでもなれる。

映画を観ているたった2時間だけだったとしても
僕は、僕の知らなかった僕で
見たことのない世界を見ることができる。

今生きている世界で
日々の生活を送っているだけでは
決して出会うことのできないであろう
景色を見せてくれる。
知ることのなかった世界に踏み込ませてくれる。

目と耳を通して、
心まで響くそのスクリーンとサウンドで。

映画にはその力が存分にある。
映画でしか得られない何かがそこにはある。

私はそう思っています。

だから私は映画が大好きです。
映画を観れば観るほど
私の生活は、毎日は、人生は、彩られる。

映画のある世界に生まれたからこそ
味わえたこの喜びに、本当に心から感謝しています。

大袈裟だと言って、笑う人もいると思いますし
何言ってんだ、と笑われたこともありますが
自分は今日も映画を観てハッピーなので
ノープロブレムです。🤧🌷

なんだかちょっと熱くなりすぎましたかね、、笑



作品から届くメッセージを受け取る

映画を観終わったあと、
黒をバックに流れるロールを
半ば放心状態で眺め、作品を振り返りながら
作品全体から伝わってきたメッセージに涙する。
そんな経験はありますか??

もちろん、監督や作品に携わった方々の込めた
本当の想いは、実際に聞いてみないとわかりません。
そして、受け取り方は千差万別。
観た人の数だけ受け取り方、感じ方がある。

自分なりに感じたものが
ひしひしと伝わってきた何かが
きっとそのときの自分に届いたメッセージ。

この作品を一言でいうなら?
この作品を通して学んだことは?
伝わってきたメッセージは?
監督たちがこの作品に込めた想いは?


インタビュー記事やパンフレットを読んで
初めてその真意に触れられることだってたくさんあります。

「この作品はすごいメッセージ性が強くて、
こんなことが伝えたかったんだろうなぁ~」
なんて考えていて
さて、インタビュー記事を見たらびっくり
全然監督の想いと違うじゃないか!!!
なんてこともあるでしょう。😂

もしも受け取り方に正解を用意しようとするなら
きっとその監督や作り手側の人たちが込めた想いが正解になるのかもしれないですが

自分がそのメッセージを、想いを
受け取れなくても、取りこぼしていても
落胆する必要はないはず。

そのメッセージを知ったうえでまた観てみたら
新しい発見がたくさんあるかもしれないですし
自分の受け取り方を違う側面から見たら
込められていたメッセージそのものだった
なんてこともあるかもしれません。


作品自体のストーリーだけではなく
その結末に繋がるシーンひとつひとつから
ストーリー進行の裏に隠れていた
作品が本当に伝えようとしていたことまで

受け取れなくても、気づかなくても
実はそこに隠された想いがあることもある。

作品を通して伝わってくる
スクリーンを飛び出して心まで届くメッセージ
ワクワクできるのも映画の楽しさだと思います。

また、
昔の自分と今の自分、そしていつかの自分が
作品から感じることは少なからず変わるでしょう。

幼い頃には気づかなかったことに
大人になってから気づく。
逆に、すごく面白いと思っていたものが
少し違ったように見えて、自分の成長を感じつつ
子どもには戻れない悲しさを感じる。

そして今日の自分の感想は、
受け取ったメッセージは、
きっといつかの自分とはまた変わるのでしょう。
その変化にもまた新しい発見がある。

やはり映画の楽しさはどこまでも続いている。
そんな気がします。


さて

ここまで長ったらしく語ってしまったことを
ちょっと反省したりしているすみた。です🙃

気づけば4500文字に到達しそうなのですが
正直まだまだ、書けること、語れること
たくさんあるなぁと困っています。笑

自分の考える”映画の楽しさ”
こんなふうに言語化して、文字の羅列にして、
書きおこすことなどなかなかないでしょう。
「今日はこの楽しみ方で映画を楽しもう」
と思ったり、そもそも自分はどんな風に
映画を楽しんでいるかをわざわざ考えることも
そう多くあることではありません。

そして今回、何個かに分けて
映画の楽しさ、楽しみ方を
私なりに長々と書いてみましたが、
映画を観ているときに人間の脳は
基本的にこれらを全部同時進行で行っていると思います。

ストーリーを楽しみながら
感情移入して、「自分だったら」を考えたり
はたまた「自分ではない誰かとして」
新しい世界を知ったり
そして、
作品全体から伝わってくるメッセージに感動したり、、、

そんなふうに組み合わさって、
相互作用、化学反応が起こり
私たちの心を響かせているのではないかと思っています。

もちろん今回書いたものだけではなく

キャラクターのセリフ
登場するファッション、小物
表現されている世界観
数々のメタファー
大きな意味を担ってる描写やシーン、、etc、、

もっともっとたくさんのことについて
映画の楽しさがあります。

意図せず勝手に脳が行っていることだとしても
言語化してみることで
改めて映画の楽しさに触れられる気がしますし
実際、自分でこのように書いてみて再確認できました。

映画が大好きな方々に
「そうそう、だから映画って面白いんだよね」
「こういう楽しさがあるから映画が大好きなんだよね」

あまり映画を観ない方に
「普段全然映画観ないけど、こんな楽しみ方があるんだ」
「映画ってこんな楽しさがあるものなんだ」
と思っていただけたりしたのなら
とっても嬉しいなと思います。


さいごに

そうこうしている間に5000文字を超えました笑
ここまで読んでくれている方がいるとしたら
本当に頭が上がらない思いです。
ありがとうございます。🐻‍❄️💓🙇‍♂️

ただ映画が大好きなだけの人間として
今回は私の考える「映画の楽しさ」ついて
書いてみました。
書くにつれてどんどん熱くなってしまいました笑

個人的には、
「自分ではない誰かとして新しい世界を見れる」
ということが、私にとって映画が大好きな、
大きな理由のひとつです。

今回の「映画の楽しさ」に被るような
内容かとも思いますが、「映画の力」
「映画を好きな理由」
などについても
今後書けたらいいなと思っています。

長くなりましたが、
最後までお読みいただき
本当にありがとうございます。
またお会いしましょう。🌼🧸☁️🍞

長々と映画に関して語りました私、すみた。の
映画感想・レビューは
のんきにFilmarksに投稿しておりますので
良かったら覗いてくださいね🌱🦕










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