シネマ06 感じるままに
「どんな足枷があったとしても。私たちなら……」
水溜りに映る月を見ていた。色なき風が通り過ぎて、月が揺れ動く。
時計の針は、駆け足で進む。二十三時五十分。ちょっと、散歩にでも、そう思って出てきて、もう一時間。……そろそろ、帰ろうかな。と、もう少しだけ、がぶつかり合う。あっ、私。こんなことでも、迷ってる。ここのところ、迷ってばかりだ…。
思い返す。ちゃんと、目標だってあった。やりたいこともあった。だから、今日まで日々を描いてきた。なのに、どうしてだろう。急に迫ってくる未来。次の色が決めきれず、時間だけが過ぎて行く。悩んで、迷って。やっと、この色!と決めたのに。聴こえてきた言葉は、冷たくて。せっかく踏み出したのに。なんで、私の足を引っ張るの…。
……あれ。こんなところに映画館なんてあったっけ。看板の文字は“シネマ”だけで。肝心の名前は姿を消している。もしかして…ここなのかな。いつかあの子が言っていた。ほのかにホワイトリリーを香らせて。
「六丁目にね、とっておきの場所があるんだよ」
重い扉の先。広々としたエントランスホール。看板のわりに、内装は新しい。落ち着いた雰囲気が心地良い。あれ?映画館なのに、ポスターや上演スケジュールがない…。なんだか、不思議。
「あれ?紫陽里ちゃん?」
背後から聞こえてきた、この声。久しぶりでもわかる。……振り返って、答え合わせ。やっぱり!
「すみれちゃん!」
「……まさか、“ここ”で会えるなんて。なんだか、縁を感じるね!」
漫画だったら“ルンルン”なんて言葉が隣に描かれそうなくらい、すみれちゃんの声は弾んでいる。
「ねえ、ここって、穂乃歌ちゃんが言ってた場所?」
私の問いかけにすみれちゃんはワルイ顔をして、唇に人差し指を当てる。
「ちょっと、待ってて」
そう言い、すみれちゃんは私を残し、どこかへ行ってしまう。この感じが懐かしくて、笑みと共にこぼれた言の葉。
「もう、ほんと自由なんだから!」
ヒールの音が近づいてくる。
「さ、行こ」
すみれちゃんはそう言って、〈シアター06〉を指差した。
〈シアター06〉の扉を開けると、スクリーンも、座席もない。代わりに、カウンター席と、たくさんのお酒が並ぶ棚が目に止まる。あれ?映画館じゃないの?
「ねえ、すみれちゃん。ここ、映画館じゃないの?」
私の問いかけに、すみれちゃんは答えない。代わりに、クスクスと笑って。また、唇に人差し指をあてる。
「なにそのワルイ顔!」
薄暗い店内。天井から吊るされた灯りが、テーブルに月を作る。
「マスター、お願いします」
すみれちゃんは、初老の紳士─マスター─に“ナニカ”を手渡した。チケット?
マスターは、それを受け取ると、私たちに微笑んで言った。
「少々お待ちください」
「どうぞ、楽しいひとときを」
テーブルの月のちょうど真ん中。置かれたのは、カクテル。
「乾杯!」
「乾杯…!」
溢れないように、そっとグラスを触れ合わせて。そっと、ひとくち。レモンだ。そして、ジンと、キュンメル。強くてさっぱりとした味わいに、心がほぐれていく。美味しい…そう言おうと、顔を上げると…。
「……え?」
さっきまでバーにいたのに。目の前には、大きなスクリーン。そこに映し出されるのは、花畑。ライラックだ。
「……紫陽里ちゃん。私ね、嬉しかった。私が道に迷ったとき、紫陽里ちゃんが隣で話を聞いてくれたこと。迷い。焦り。苦しさ。哀しみ。やるせなさ…たくさんの感情を共有したよね。紫陽里ちゃんの存在がね。私にとって、心の支えだった」
すみれちゃんはそう言って、カクテルグラスをほんの少しだけ持ち上げた。
「紫陽里ちゃん。“感じるままに”描いていこうよ。どんな足枷があったとしても。私たちなら、何だって描いていける。だって、私たちはこれに負けないくらい強いんだから」
“感じるままに”。私の本当にやりたいことってなんだろう。描きたいのは、どんな未来だろう。他人の冷たい言葉なんて、知らない。私は、私の手で描きたい。
「紫陽里ちゃん。どんな困難も、打ち抜いていこうよ。“銀の弾丸”で!いつだって隣にいるからさ!」
バーンっ。と拳銃を打つポーズで、またワルイ顔するすみれちゃん。そうね、背中合わせで。打ち抜いていこう。困難も、冷たい声たちも。私たちは戦友だもん。
「決めた。誰に何と言われようと。私は……」
帰り道。そう、宣言する私の隣で。すみれちゃんの声が響く。
「私は。いつだって隣で、紫陽里ちゃんの描く未来を応援する!!!」
Special Thanks
ライラックが似合う、私の大切なお友達
これからも、背中合わせで。私たちらしい未来を描いていこう。
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