見出し画像

星の落ちない透明な夜

恋愛で朝まで一睡もできなかったのは人生で3回目だ。

耳の奥で異質な音を感じる。頭と身体がばらばらになりそれぞれがぐるぐるとどこかを彷徨う。遮光カーテンで厳重に締め出された外の光は少しずつ明るさを増して、トラックは荷物を運び、ヘリが飛び始めた。ここ最近の東京は本当にヘリコプターがよく飛んでいる。
ほのかな明るさと共に少しずつ音が増える。この街は東京の中でもカラスが多く、そろそろカラスも目覚めだし、それらを長い間ぼんやりと耳に落としていた。目は、開いている。

何度寝返りを打っても、枕をクッションに変えてみても、一向に眠気は訪れず、正確には眠気はあるが眠れず、明け方には眠ることを諦めた。
それと同時にNetflixで目にとまった映画「恋は雨あがりのように」を再生し、意識と無意識の間の薄い膜を通して流し見する。小松菜奈は美しくまっすぐで、大泉洋は正しくあたたかかい。青春は真っ最中のものと、そうでないものと、取るべき態度は違う、それがその時の美しさを際立たせる。

眠りを意識すればするほどその夜の出来事が思い出され、悲しみと苦しみと諦めが涙になって滲み出す。こんな、クリスマスの楽しい雰囲気を迎える前にこんな気持ちになるなんて、我ながらもったいない。こんなに恋愛に身を浸す期間はおそらく一生のうちにあまりないであろうから、存分にその雰囲気に身を委ねる。自ら身を投じておきながら修行僧のような気分だ。

その日は12時を越える頃に恋人を家に帰し、1人でぬるめの湯船に浸かって心情の可塑性に巡らせていた。

後戻りできない気持ちと、あともう少し早かったらという気持ちと、それでもそれ以前から側にいる人間と、今後も側にいてほしい人間と、外部環境と、距離と。それでも、もっと早く出会っていれば何か変わっていたという気持ちに私はなかなかならない、それはあまりにも頼りない願いで、長い期間を遡る必要があるから、そしておそらく私たちが今この状況になっているのはお互いの状況あってこそなのだと無理矢理に納得させる。

それでも、その日は湯船の湯気にふやかされた頬を滑るように涙が出るに加えて、声をあげて泣いた。一体私は何歳なんだ、恋愛は人をばかみたいに幼くさせる、圧倒的に生を感じるものの楽しいと思うような余裕はない。

そんな感覚に耐え切れず、湯船の中から近所の友人に今から会いたいと連絡をした。こんな時に、もう異性に連絡することはしない。それは自分の傷を広げることになるし、実体験として何も生み出さないことはよく分かっている。

二つ返事でおいでと言ってくれる気のいい近所の女友達の家を訪れる、お風呂上がりの部屋着の上にコートを着込み、湯冷め防止のため大きめのストールをぐるぐると巻いて。ペラペラのエコバッグにウイスキーのボトルと、お風呂上がりの保湿のためのフェイスパック(友人分も含め2枚)だけを入れて、今年一番と言われる寒さの中を歩く。頭の中は多くの心情が渦巻いてとても騒がしかったが、深夜の外気は心底冷え込んでいて静かだ。やっと、深呼吸ができた。

友人の家まで歩いて5分程、マンションの階段を登りながらすでに友人はドアを物理的に開けて待っていた、その優しさが嬉しくて、顔を見る前にもう泣いた。深夜に泣きながら訪問するだいぶやばい女を、友人はあたたかく抱きしめてくれた。泣くのが早いよと、割と爆笑していた。私の友達らしい。私もつられて笑った。

内容を話すと、大した話じゃなくて良かった、と友人はまたそこで笑った。こういう反応に救われる。この恋愛関係の前提はこういうものであったのに、すぐに忘れて一喜一憂する私自身を、信頼とあたたかさと気軽さで優しく笑い飛ばしてくれる友人で、本当にありがたい。もちろん、泣いている原因は私にとっては一大事ではあったのだが。

パックをしながら泣きながら笑いながら恋人のことを話す私を、そんなにまっすぐに素直に恋愛できるのが羨ましいと笑う。自分ではもっと素直になりたいと思うが、見る人が変われば十分に素直に見えるようだし、私はその友人の少し秘めた可愛らしさを羨ましいと思う。それぞれの人間の良さをどうしたら相手にぶつけて恋愛ができるんだろうねと話しては持ち込んだウイスキーを飲み、話す。おそらく深夜2時頃。

私が傷つかなければ何でもいいが傷つけたら殺すと恋人自身にも酔いながら言ってのけた愛すべき友人を、そしてそんな友人が何人かいることのあたたかさを、自意識過剰だが自分の性格を、まっすぐに人を好きになりすぎる自分の不器用さを、苦しいながらも愛すべきなのだろう。大体、もう結構傷ついてるからそろそろ殺ってもらうべきタイミングかもしれない。

その少し後に、さすがに友人を寝かすべく自宅に戻った。友人の家を出てからまた5分間、わざとゆっくりと歩く。刺すように尖った外気と、空に見える数少なく頼りないながらもまっすぐに輝く星を見て、自分と恋人の矛盾と幼さを圧倒的に感じ、寂しくも愛おしく思った。その日の冬の空気が期待よりも透明で良かった。

結局その日は眠ることができず、再び1人になれば涙も滲むし声をあげて泣くしで散々な夜だったが、それでも友人がいなかったらもっと悲惨な夜更けになっていただろう。だから、とにかく感謝したい、という話だ。

そういう人のためにはきっと全力になってしまうのだろう。そうやって育って良かった。これからもっと情に厚い大人になっていこうと決めながら、眠れない夜をやり過ごした。
ただの恋愛で眠れない夜を過ごしてしまうなんて、無駄すぎてきっと後から考えれば尊い思い出になると信じるしかない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?