sumire_love17
はじめまして。
Xから来ていただいた方、この記事で初めて目にする方
この記事を見ていただきありがとうございます。
Xを始めた理由や自分がスパンカーになった理由。
スパンキング(お尻叩き)に対し性癖を感じるようになった時のこと。
色々書いていこうと思います。
文章の長さを考えてもXでは限界があるので文章を書ける媒体として
最近よく使われているこのサイトを選びました。
書くことは初心者なのでとにかく思い浮かぶことを並べていきます。
話が前後したりするかもしれませんが許してください。
Xを始めた理由
Xのプロフィールに書いている通り私はハーフです。
勘違いされる方もいるかもですが日本で生まれ中学卒業までは日本に住んでいたのでカナダにいた時間の方が短く、私の認識としては言葉も含め圧倒的に日本人寄りです。
宗教的な部分にどこまで触れていいのか分からないのであえて名称は伏せますが、私の今までの人生を左右してきた大元の原因がそこにあります。
現在私が日本に戻ってきたのも親との関係を断つのが理由です。
向こうの生活より日本の方が慣れているというのもありますが、
一番は親とこれ以上近い距離で生活することに限界を感じていました。
学生の頃は衣食住を親に支えられている分、逃げる選択肢はありませんでした。
後ほど振り返りますが本当に壮絶な学生時代を過ごしました。
逃げるという選択肢が取れなかったのも結局のところ私自身も母の信仰に対し同じく飲み込まれていたのだと思います。
納得できない部分は多々あれど物心が付く時からそれが当たり前の生活だったので。
そして向こうでの生活の中でもちろん親を抜きにすれば楽しいこともありました。
ですが総合すると苦痛の時間の方が多く1人で生きていく決断をしました。
そして日本に戻ってきても同じようにスパンキングの趣味のある人とプレイをしたいと思うようになりました。
と言ってもこの性癖を知り合いに言うわけにもいかず、
そんな時にXを見ると似たような趣向を持つ方が沢山いるのを知り、私もここで運良くお相手が見つかったり当時の苦痛の話を共感してもらえたらいい意味で浄化出来る部分もあるかなと思ったのが開設したキッカケです。
性癖に目覚めたキッカケ
子供の頃からお尻へのお仕置きが当たり前の生活を送っていたので
いつでもその可能性はあったのですが私の場合はそれに目覚めたのはお仕置きを受けていた中でも本当に後期でした。
リプ等でお仕置き中に嬉しかったですか?のような質問もありましたが、それはありませんでした。
段階的なものがあり今は完全にそのフェチを自称するほどですが最初は0~10のうちの3くらい。
うっすら違和感は感じているだけでその正体は分かっていませんでした。
どこまで踏み込んだ内容を書いていいのか分からないので伏せますが、
夜にベットで1人で、、みたいなことはお仕置きを受けていた当時はありましたが、いざお仕置きの時にそれを感じていたかというと否です。
中学卒業から高校入学、遅くとも高校に入ってお仕置きをされた記憶は無いので15歳、16歳くらいまでされていたと考えるといかに狂気的な母親だったかが分かってもらえると思います。
縁を切って世の中の普通を知ってからなおその感情は高まりました。
中3の時点でその性癖に対して違和感は感じていて心の中が複雑になる中、
お尻叩きが始まると余りの痛みに号泣。感じる余裕など当然無いので必死に謝るのみでした。
それから数時間後にベットでそれまでの自分や母にされたお仕置きを思い浮かべ、ということは事実としてありました。
ですが叩かれながらはとてもそんな余裕は無かったので単に自分が苦痛を自慰的な意味で捉え変な感情になってるのかと思っていました。
ですが高校在学中辺りからどうもこのお尻叩きの行為についての興味が消えず、そういった動画などを探してしまうようになりました。
そこで自分は叩く人、叩かれる人と2つの役割を知り、
自分はそのような動画を見ると決まってお仕置きされて夜な夜なやっていたあの時間と同じ感情になることから、私がスパンキングを性癖に持ってしまったことを認識しました。
そして動画を見る時に私は叩かれ役の人が泣いていたり苦痛な顔をする場面でそれを強く感じていました。
専門用語なども覚えていく中で私がスパンカー側だということも分かりました。
なのでキッカケは母のお仕置きで目覚め始めたのは中3の頃。
完全に目覚めたのは高校在学中です。
母から受けていたお仕置き
まず最初にXの投票機能を設けていました。
私の当時受けていたお仕置きの話とカーになった今の話。
票数を見ると圧倒的に当時のお仕置き話を知りたい方が多いことが分かり、
そちらを中心に書こうと思います。
ですが、これに関してはどこまで書いていいのか分かりません。
まずこの記事すら公開していいのか(性癖なんて言葉も使っていますし)って感じなのでとりあえず書けるところだけ書きます。
実際に記憶に残っている幼少期、小学校、中学校、高校1年(中3の記憶とごっちゃになっているかもです)のお仕置きの記憶ですが、
もしこの記事は問題なく公開できて皆さんの目に入り特に公開停止など無かったら当時されていたことについて深く話していこうと思います。
ですが仮にこのサイト上で問題がなかったとしても内容が内容です。
私のXを見てる方ならわかると思いますがかなり精神的にも身体的にも恥ずかしく痛く辛い思いをしてきました。
なので直接的な表現をする部分は限定公開などにさせていただくなど対処し、本当にこの宗教の体罰や私が受けてきたお仕置きを知りたい方だけ読んでいただけたらと思います。
実際に受けてきた人間だからこそ分かることや辛さ、当時のこと、どれだけ悲惨だったか身を以て伝えられます。
私自身も日本に戻ってきて一旦リセットし人生を再出発しようと思っているので当時のことを書き出し、浄化できたらそれはそれでいいことなのかなと思います。
そして
この記事が消される可能性もあるので何とも言えませんが、
小学校よりも中学校以降の記憶はとても強く印象に残っているので
もし記事が通るのであれば詳細に書けると思います。
頻度も多かったので書こうと思えばいつの話も書けますが、
全て子供にとっては壮絶なお仕置きでした。
具体的な内容は次回以降で触れるとして、
今回は当時母からされていたお仕置きのされ方や道具について書いていきます。
深い部分は今回は触れません。
お仕置きは信者だった母から受けていました。
平手打ち、ヘアブラシ、ムチの3パターンがありました。
これは同じ被害者の方でも色んな家があるらしくムチも各家庭で違います。
普通では考えられないことですが母を含む信者の人たちは子のお尻を痛めつける道具選びやそのやり方といった、
本当に何の意味があるのか分からないことに精を出していました。
ウチのムチは電気コードでした。
経験者は分かると思いますが痛すぎてお仕置き前から精神が壊れそうでした。
お仕置きのやり方も同じく2パターンで壁やベットに手を付いて母の方にお尻を突き出すか、母の膝の上でした。
平手とブラシが膝の上、ムチの時が壁やベットに手を付くという感じです。
今日はこれを使いますと言われたらその時はそれで統一され途中で道具が変わることは滅多にありませんでした。
例外は平手の時で膝の上で母の平手のお尻叩きを受けている最中に許しが出ず、そのまま膝の上でブラシのお仕置きに移行することは何度もありました。
ですが基本的には平手なら平手、ブラシならブラシ、ムチならムチ。
なので最初からムチ(電気コード)を持たれていると感情がおかしくなり
恐怖で逃げ出したくなりました。
ならば平手打ちやブラシは楽かというとそうではなく、
平手でも私はいつも泣かされましたし、ブラシで大泣きした回数も数え切れません。
ムチの時は大泣きを超えて、
声にならない呻き声や絶叫、とにかく悲惨でした。
具体的な状況やお仕置きの話は書ければ次回書きます。
次回はお仕置きに特化した過去を書きます。
次回以降で深く書いていくので興味持たれた方はこちらのアカウントもフォローすることお勧めします。
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