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初めての雪山、初めての山小屋/福島県・安達太良山_毎日新聞

毎日新聞朝刊に隔月連載している「わくわく山歩き」(2019年1月~)は、日本の山のなかから毎回1座選び、紹介するエッセイです。その山にまつわる私個人の思い出や、登ったときの印象も織り込んであります。
noteでは、各回の編集後記のようなもの、本編の紹介を記していきます。

2019年3月18日の「わくわく山歩き」は、福島県の安達太良山でした。
私が、初めて登った雪山。高校2年の1月末のことでした。

安達太良山には、幾つかの思い出があります。
初めて登った40年前の冬は、千葉県内の高校山岳部が集まった講習会でした。
このとき、たくさんの新鮮な経験をしました。
一緒に参加した真里(千葉女子高山岳部同期)は、一生の大切な友人です。
安達太良山で出会った隣の高校山岳部だった面々は、同い年ながら、何歩も先を行っていました。彼らが雪洞を掘ることに驚いたし、その後、藪漕ぎや沢登りって何ぞやとか、白神山地(いまの白神山地ではありません、40年前の原始的環境です)を教わったのも、彼らからでした。

これは3月のうららかな日
高校山岳部のときは猛烈な吹雪で、「石も飛んでくるのではないか」と思ったほど
山腹の高台にくろがね小屋がみえます

大学山岳部に入ってきた、女子部員たちと登った冬もありました。

冬以外に初めて登ったのは数年前の秋、田部井政伸・淳子夫妻とでした。
当時、田部井さんと一緒に本を作っていてその取材・撮影でした。超多忙な田部井さんが日程を開けてくれるのだから、私もパツパツだろうが何とか時間を作るようにしていました。
この時はメキシコのバハからの帰国日の翌日から取材でした。田部井さんだったら当たり前の日程ですが、私はいつもだったら、このようなことはしません。
こんな時に限って、メキシコからサンフランシスコへのフライトがストームで遅れ、帰国便に乗れず帰国日が1日ずれ込みました。
帰国後、自宅で30分ほどパッキングしてすぐに出発。半日遅れで一行を追いかけたところ、安達太良山の山頂で政伸さんが、「バハは楽しかったかい?僕はバハ3000(オートバイのレース)で行ったよ」と笑顔で迎えてくれたことを覚えています。

安達太良山らしい眺め

その後、こんどは春先に登りました。2日目、雪面がフィルムクラストになったことを、とてもよく覚えています。
フィルムクラストについて思うたびに思い起こすのは、こちらの文章。紙面では詳細まで触れることができなかったので、ここで紹介を。

美しいフィルムクラストでした
憧れのフィルムクラストが目の前に広がっていましたが
スキーは持っておらず……

映像作家の関口雅樹さんの文章「die schwarze spur(黒いシュプール)」には、スキーを走らせると白波が押し寄せるようであったり、桜吹雪が舞うようであると書いてあり、三浦敬三さん『黒いシュプール』についても触れています。

私が、フィルムクラストの雪を思い出すたびに、それがモノクロームの絵であることは、この文章の影響かなと思っています。

この時書いた「くろがね小屋」(紙面の写真にも写っています)は現在改築中です。
冒頭で書いた高校生のときの雪山で泊って以来、何度も泊めていただきました。温泉があり、カレーが美味しい、雰囲気のある建物。私にとっては初めての雪山であり、初めての山小屋泊でもある、とても思い出深い山小屋でした。
以前の山小屋とのお別れは少し寂しかったですが、改築後の「くろがね小屋」も楽しみです。

新聞記事(本編)「湯の恵み豊かに 安達太良山」は、コチラで読んでいただけます。

「わくわく山歩き」バックナンバー
2019年1月~2020年3月 →コチラ
2020年4月~現在 →コチラ


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