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女子プロボクサー藤岡奈穂子。世界5階級制覇の過程で意識した3つのこと

「昔は夢があったけど叶わなかった…」
「今抱いている夢はあるけど、
どうすれば叶えられるかわからない…」

年齢を重ねれば重ねるほど、このようなことを考えてしまうのではないでしょうか。
大人になったら諦めなければいけないことばかりで、そのうち「夢の決め方」まで忘れてしまいがち…。

ですが、女子プロボクサーとして世界5階級制覇を達成した藤岡奈穂子選手のお話を聞き、「何歳になっても夢は持ってていいし、叶えられる方法はたくさんある」と思わせてくれました。

5階級を制覇し、今もなお挑戦を続ける藤岡選手が、その過程で意識した3つのこと
大人になった今だからこそ伝わってくる藤岡選手の想いを、文章にして読者のみなさんにお届けいたします。


まず、藤岡選手の簡単なプロフィールを紹介いたします。

・宮城県出身の女子プロボクサー
・ソフトボール選手として高校、社会人で5度の国体出場
・23歳でボクシングを始める
・2004 年にアマチュア国際女子トーナメントで銀メダルを獲得など着実に結果を出し、2009年にプロ転向
・2011年にWBC女子世界ストロー級王座獲得を皮切りに、 2015年のWBO 女子世界バンタム級王座獲得で3階級制覇
・2017年にはWBO女子世界ライトフライ級で王座を獲得し、日本ボクシング界初となる世界5階級制覇を達成

亀田興毅さん、井岡一翔選手など、世界に名を馳せる日本人男子選手でも3階級制覇が最高。
他の日本人女子選手でも、それ以上の階級を制した選手はいません。

そんな中、この藤岡選手は2017年に世界5階級制覇を達成。
男女通じて日本人選手最多記録であり、日本ボクシング界に新たな歴史を刻み続ける「レジェンド」と呼ぶにふさわしい選手なのです。

今回、藤岡選手が登壇したのは、日本サッカー協会(JFA)が主催する社会貢献活動の一つである「夢の教室」。そのコンセプトは以下のとおりです。

様々な競技の現役/OB/OGのスポーツ選手などを「夢先生」として学校へ派遣し、「夢を持つことやその夢に向かって努力することの大切さ」「仲間と協力することの大切さ」などをゲームと夢先生の体験談を通じて子どもたちに伝えています。
(引用元:JFAこころのプロジェクト「夢の教室」概要

「夢の教室」では、小学5年生と中学2年生を対象に2時間の授業をおこない、前半は体育館での「ゲームの時間」、後半は教室での「トークの時間」という構成で進みます。

今回は、小学5年生が対象で、夢先生が藤岡選手。
2時間の授業の中で藤岡選手自身の今までの歩みを話し、「夢を宣言することで夢に一歩近づく」というメッセージを残したのでした。

1.本気でやらなきゃ何も感じなくなる

体育館での「ゲームの時間」の最初に、藤岡選手とのミット打ち体験のチャンスが。

夢の教室のアシスタントである川股要佑さんの「こんなチャンスは人生で1回しかない。積極的にチャレンジしよう」という言葉を皮切りに、希望する児童が続出。
なんとも微笑ましい空間でした。

体育館では、2種類のゲームがおこなわれました。

最初は簡単にクリアできるような内容で、だんだんとレベルが上がっていきます。
皆で力を合わせ、全員が同じ条件を満たして初めてクリアになるというものでした。

ですが、「われ先に」というのが無邪気な年代の性。
協力しなきゃいけないとわかっているのに、どうもうまくいかない。

だから、各ゲームではたびたび作戦タイムが設けられました。
「どうすればクリアできるか?」を全員で考えることに、こんなメッセージがこめられていたのです。

「やる気があるのはすばらしいことだけど、チームでやるって難しいよね。『自分だけが良けりゃそれでいい』では、チームで何かを達成するためには少し足りない。少し出遅れている人にも気を配って、達成できる方法を一緒に考えることが一番の道。だから、ルールはちゃんと守って、他人の話をちゃんと聞いた上で行動しよう」

自分一人だったら簡単にできることなのに、チームでやると途端にできなくなる。どうすればうまく協力できるのかわからない。
そんなもどかしさに、悔し涙を流す児童もいました。

それこそが、この「夢の教室」で伝えたかったことなのでしょう。

「クリアできないのは悔しいよね?そう、そういう悔しい気持ちを持ってほしい。できないことを悔やんで、『どうすればできるのか?』を本気で考えるからこそ、達成したときに本気で喜べるんだよ。本気でやらなきゃ何も感じなくなる。そんな無気力な大人になるんじゃなくて、目の前のことに本気で取り組める大人になってね」

2.応援してくれる人の存在に気付く

23歳のときにボクシングを始めた藤岡選手。
それまでソフトボール選手として国体に5度出場し、所属する実業団でも中心選手として活躍しましたが、競技から離れるきっかけになったのは、当時の社長の「お前の代わりなんていくらでもいる」という一言。

チームのために尽くしていたのに、それを否定されるような言葉。
心に傷を負った藤岡選手が、「なりたい」と願ったのは代わりのいない存在。つまり、オンリーワンの存在でした。

ボクシングとの出会いは、街の情報誌で見かけた練習生募集の案内。
当時女子ボクシングは競技人口が非常に少なく、「これなら一番になれる」と感じて競技を始めたのですが、練習環境は理想とは程遠いもの。
公民館の一室で、機材はサンドバック1つに鏡1枚のみ。
限られた環境の中で、ボクシングの道でやっていくと決めたのは、競技開始一年後に出場した大会でした。

「宮城県内には女子ボクサーがいなくて、練習ばかりで試合なんてしたことなかったし、一年後に出た大会もいきなり全国大会。初めての試合で何がなんだかわからなかったけど、毎日練習を積み重ねたおかげか、KO勝利することができた。そのとき『ボクシングって面白い!』と感じて、この競技でやっていこうと決めることができました」

その後、数々の大会で勝利をおさめ、アマチュアボクシング界で名を馳せていった藤岡選手。
周囲の声とは裏腹に、このとき抱いていたのが「目標がない」という葛藤だったそう。

オリンピックに出ることを目標に掲げていましたが、2度のチャンスではいずれも選出されず。
ボクシングを始めてから10年が経ち、目標を見失いそうになっていた藤岡選手の前に訪れたのが、プロテスト受験の誘い。
受験には32歳という年齢制限があるものの、ボクシング協会は10年間の功績を讃え、当時33歳だった藤岡選手にたった一回かぎりの受験を認めたのでした。

「受験を決めたとき、家族や友達には猛反対されたよ。『今さら無理だって』『頼むから普通に働いてくれ』とか。けど、そのとき目標を見失っていた私の前に現れた新たな目標。『絶対叶えてやる』と自分で決めたから、反対を押し切って受験し、たった1回のチャンスをものにすることができました」

プロ転向後、順調に成績を上げ、2011年には初の世界タイトルを掴むチャンスが訪れます。
実は、世界チャンピオンになることは、それほど望んでいなかったそう。
それどころか、「なりたくない」とまで思っていたとか。

それは、「世界チャンピオンになってしまったら、目標がなくなってしまって頑張れない」という恐怖にも近い気持ちからでした。

そんな矢先、初のタイトルマッチ前日に訪れた東日本大震災
地元宮城が大災害に見舞われ、家族とも連絡がつかないような状況。
心が大きく揺さぶられたことで、初めて「世界チャンピオンになりたい」と決意したのです。

「『チャンピオンになりたくない』なんて思っていたから、バチが当たったんだと自分を戒めていました。試合どころではなくなって、タイトルマッチは延期。そんなとき、ジムの会長が『ベルトを持って宮城に帰ってやれ』と言ってくれたり、何より嬉しかったのが、地元の人たちが『今はなおちゃんの試合が一番の楽しみ。応援してるよ』と言ってくれたこと。そこで自分を応援してくれる人の存在を知って、初めてチャンピオンになりたいと思えました」

3.叶えたい目標は、口に出す

初のタイトルマッチを制し、2017年に世界女子フライ級王座を獲得し4階級制覇を達成した藤岡選手。
体重の増減をもろともせず、挑戦した階級で確実に勝利を収めていったのです。

4階級制覇後、狙ったのは5階級制覇という日本ボクシング界初となる快挙。
達成するとすべての階級を制覇することになり、次なる目標を見失うことを予感していた藤岡選手は、今までと違ったことを意識するようになりました。

「今までの経験から、『目標がなくなって頑張れないのでは?』という気持ちはもちろんあったよ。だから、達成しても目標を失わないように、先に次の目標を立てておきました。5階級を制覇した今、達成したいことは『日本人女子選手で初めてラスベガスで試合をする』こと。これを予め目標に定めていたので、5階級を制覇したあともすぐに歩み始められました」

夢先生の授業の最後にに、児童がそれぞれの目標を紙に書き、有志が発表する時間が設けられました。
「プロのキックボクサーになって、一番強い男になりたい」、「管理栄養士になって、人々の健康を守りたい」など、一点の曇りもない目で高らかに宣言していたのです。

しかし、最初はみんな恥ずかしがって、有志で発表する児童がなかなか現れない。
その後、一人が名乗り出ると続々と立ち上がり、多くの児童の夢を聞くことができました。

その過程で、藤岡選手が児童に伝え続けていたのが、ある一言です。

「どんな夢も、最初にやるべきことは口に出すこと。自分だけで抱えるのではなく、周りに言うことで応援してくれる人も現れる。つまり、『口に出すことで夢に一歩近づく』ということ。だから、恥ずかしがらずにまずはクラスメイトに聞いてもらおう」


授業の最後に、藤岡選手は「がんばることは楽しいこと」という一言を残しました。
これは、授業を受けた児童だけでなく、我々大人も大事にしたい気持ちです。

23歳で新たな競技に挑戦し、43歳になった今もなお挑戦を続ける藤岡選手からは、「年齢なんて関係ない」と教えられた気がします。

挑戦することで自分の人生を豊かにし、その過程を楽しむ。
その姿勢が新たな夢を見つけ、達成するためには欠かせないことなのでしょう。

文・写真/角田尭史

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