10|おじいちゃんの聖域
私は、祖父母に育てられた。
おじいちゃんは、いつもコタツに入り、正面のTVを見ていた。
TVで見るものは、だいたい決まっていた。
夕方には相撲、
夜は野球、
休みの日はマラソン。
子どもながらにつまらんのうと思っていた。
なぜなら、テレビに動きがあんまりナイからだった。
あるにはあるが、そんなに大きな動きは、ない。
テレビの中の構図が同じというか、ちょっとしか動きしかない。
そう、思っていた。
相撲なんて、向かい合って、ハッケヨイ、組んでも、すぐどっちかが転ぶだけだし、
野球なんてほとんどピッチャーの向こう側にバッターがかまえてるだけだし、
マラソンなんてただ走ってるだけだった。
一緒にコタツに入っていても、間が持たない。
というか、すぐに飽きてしまった。
ようするに、子どもは、派手が好きなんだ。
動きもドカーンと、
ズババババと、シュシュシュと
音もピロピロして、ズバーンと、
じっとしてられない。
でも、最近分かるような気がする。
おじじたちは、ほとんど動かないような中での
『小さな動き』が面白かったのだと。それは『ちいさな変化』とも言える。
その証拠に、おじさんになると急に花なんかが好きになるし、
盆栽なんか、ほぼ動きないしね。
中には、250年モノとかかれた盆栽とかも見た事あるしね。もう、止まってるもんの方が好きになるのかもしれないよ。
と、
それは言い過ぎたけど、
そのぐらい『モノの見方』が“くろうと”だったんだなと思う。
きっと、大きくなるにつれて、大概の面白さを体験しつくして、
ちょっとやそっとじゃ、面白いと思わなくなって、
超越して辿り着いたところに、『少しの変化の面白さ』があるのじゃないか…と。
いやはや、恐るべし。おジジ。
自分が爺さんになったら本当のことが、わかるんだろうなぁ。
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