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元藝大生が小説『朱に交われば赤くなる』を描いた理由

 私が今回制作した『朱に交われば赤くなる』には元となった『都会に泳ぐ』という作品がありました。言葉ではなく、アート作品からスタートしたものです。藝大時代、主に美術史を専攻していた私はデザイン科に進みたいと思い、自分なりの制作の仕方を探していました。
 そんな時に大学の授業で初めてフィルムカメラを使用し、写真をちゃんと撮るという技法に出会いました。その当時はそれほどスマホの画質が良くなかったこともあり、カメラのファインダーを通して見る世界は今まで見ている世界とは異なるものに見えました。
 様々な写真の作品と出会い、私が見つけたのが多重露光という手法です。実際は撮る際に使用するものですが、私はデジタルカメラで撮った写真をphotoshop上で組み合わせています。
 『街に泳ぐ』という作品は、人間を金魚のような存在として見立て、渋谷の街をあたかも水槽のような場所として仕立て上げた作品です。アートアクアリウムで撮影した、野生に戻ってしまうけれど、美しく照らされた金魚の姿とスクランブル交差点を重ね合わせています。この作品を渋谷芸術祭に応募したところ、ヒカリエで展示いただく機会をもらえたのは良い経験となりました。


『街に泳ぐ』より

「街に泳ぐ」の詳しい内容はこちら→
https://kawashimakasumi.com/works4.html


『都会に泳ぐ』より

『都会に泳ぐ』はこちら→
https://kawashimakasumi.com/works6.html

 個人的には藝大時代の時の方が光の部分を抽出するような作品を作っていて、会社員になってからの方がもう少し物語性を意識した作品になっているような気がします。

 大学院を修了し、会社員として働くようになってからは視覚表現に囚われずに、自分が得意な文章を活かした作品を制作するようになりました。私にとって金魚というもモチーフは、吉原遊廓でしか生きられない遊女の象徴として大学時代から取り扱ってきたプロジェクトです。
 金魚というモチーフ、現代に生きる女性の存在を重ねて描くことができないかと考えて制作したのが、『朱に交われば赤くなる』という作品です。この作品の舞台は2020年の東京です。感染症対策と銘打って、家に閉じ込められていた自分が金魚のようだと感じることがありました。その当時、本当に金魚を飼っていたこともあり、彼?彼女?が生きていたら、私をどんな風に見るだろうという思いをこめて書きました。
 私たちは水槽の中でしか生きられないわけではありません。けれど、水槽に閉じ込められたみたいに、二十代後半の女性は『普通』という価値観に閉じ込められている時期がある気がしてなりません。私自身も、読んでいる方も、普通という固定概念から離れ、自分らしい生き方を見つけられると良いという願いを込めて描きました。
 2020年に一度完結させた作品を、2023年の今に見直したからこそ思うことかもしれませんが……。『朱に交われば赤くなる』は普通の恋愛小説なのかと言われるとそうではない気もします。恋愛というよりは、仕事も含めた生きる上で必要な自分探しをしていく物語なのかもしれないと思っています。
 実は、『朱に交われば赤くなる』は短編連作四作品の中の一作となります。この作品を物語として多くの人に読んでもらう機会が作りたいと思い、制作しました。今回、初めてnoteを使ったのですが、文章だけでなく自分の制作したグラフィックと組み合わせられるのは良い点だと実感しました。まだまだ未熟でありますが、読者の方が「白紙に戻って、自分の色を見つける」体験につながれば嬉しいです。
 私も、今まで培ってきた視覚表現と物語を組み合わせた作品が作れるようにこれからも精進していきます!みなさま、応援ぜひよろしくお願いします。

◾️作品はこちらから


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