退屈を享受せよ
はじめに
よかったらこれを聞きながら読んでください。3000字あります。
それこそ少し長ったらしくて退屈かもしれないですが、退屈だと思わない範囲でのんべんだらりと読んでみてほしいです。
キャパオーバー
日・月・火とぐったりしていた。
仕事をしようとすると眠くなる。他の事もあまり手がつかない。
頑張りたいことが頑張れない。使えるはずの資質がうまく使えない。
不安感があるわけではなく、ただキャパシティを超えていた。
調子乗って人生の難易度を上げると、こういうこともある。
そんなわけで仕方なしに寝込み、風呂に入り、ちょっと絵を描き、ちょっとゲームをして過ごしていた。要するになるべく副交感神経優位の生活をしていた。
ずっと寝ていたり、同じゲームをずっとやり続けていると、どこかで退屈してくる。刺激のなさに、あるいは刺激の種類に飽きてくる。都合2か月振りに退屈を感じて、少しほっとした。
退屈にほっとするというのは、我ながら不思議な表現だと思う。今回は自律神経と呼ばれるものを切り口に、この表現について説明してみたい。
自律神経を捉える言葉たち
副交感神経を働かせるには、寝るなりお風呂に入るなりして、ゆっくりするのがいいらしい。けれどスマホをいじるのはよくないらしい。それは刺激が入るからだ。
そうはいっても交感神経も副交感神経も目に見えない。いつどれだけ使っているのかがわからない。
……きっとこの悩みは、文明、あるいは重責とともにずっとあったはずだ。
ここでは答えから逆算して、雑に導出手順を書く。細かい思索は各自で進めてほしい。
(本気で全世界から言葉を集めて考えたら、文庫本が一冊出来る。多分既にこの世にあるはずだ。)
交感神経からいこう。
交感神経が高まった状態を緊張と表現することが多い。これは明治時代に執筆された医学語彙集の『医語類聚』で、英語の「tention」の和訳として作られた言葉だ。
tentionの語源はラテン語のtendo(伸ばす、張る)から来ている。「緊張の糸が切れる」もtendoから関連させた表現だろう。
理解を深めるために、一度副交感神経の方にいこう。
これも「リラックスする」という表現を良く見るが、この語源はラテン語のrelaxo(再び緩める)から来ている。
接頭語re-は「再び・さらに・後ろへ」という意味で、語幹のlaxoは「緩める」となる。(「リリース」も実はre-+laxoの変化で作られているので面白い。)
緩める、というのもイマイチ測定困難なので、さらに語源を辿れば印欧祖語のsleg-(だらりと垂れた)になる。
「ピンと張る」「だらりと垂れた」。
ストレスもリラックスも、糸と関連のある表現だ。
では文明とともにあり、糸にモチーフを持つものは何か。それは時間ないし命である。
農耕によって文明が発達するにつれ、「冬に食いつなぐこと」「翌年に撒く小麦の種を確保すること」「農作業の時期と規模を決め、人員を確保する」などなど、今やっていることが未来につながる事を意識せざるを得なくなった。
つながるというのはまさしく糸に例えられる。ゆえに命・時間がそのまま糸に例えられるようになった。
タイムラインなんて表現も、時間の糸としての認識がもたらしたものだ。
締め切りのキャパシティ
「こと」と「こと」を結ぶ間に「時間」の糸があるのだとしたら、物事はひどくシンプルにとらえられる。
「時間」の糸が紐ついた「こと」のことを、現代ではよく「タスク」と呼ぶ。そしてその結節点を「締め切り」と呼ぶ。
この結節点同士が近いとストレスであり、遠ければリラックスである。
交感神経が働く理由の大本である「生命の危機」も、「何秒以内に対処しなければ死ぬ」という「差し迫ったタスク」と捉えれば解釈としてわかりやすいだろう。
ここで生産性の高い日々を思い返してほしい。
新しい友達に出会う。
新しい所に行き、新しいことをやる。
少し難しいことにチャレンジする。
タスクに没頭する。
日々成長していて、日々刺激があって、前に進む。きっと楽しすぎて眠ることすら忘れてしまうこともあるだろう。けれどその生活は必ずどこかで破綻する。時間の長さは有限で、糸の張れる力も有限だからだ。
人が抱えられる締め切りにはキャパシティがある。
まあ、僕も例に及ばず、やること詰めだった。人と会って、人に話をして、形にする。それが沢山あった。実践を謳うストレングスデザイナーが何をやっとるのか。医者の不養生。
時間の糸が弛緩する時
人が抱えられる締め切りにキャパシティがあることはわかった。ではこれを推し量るにはどうすればよいか。
ここまで緊張の方向性で見てきたので、リラックスの方向性でいこう。
時間の糸で言うなら緩んだ状態、タスクとタスクの間が空いている状態である。
この状態が発生したのはいつか。原初に辿れば農閑期にあるだろう。雪に閉ざされ、草木は育たない時、農耕者は家で閉じこもることを余儀なくされる。次の農作業は春を待たざるを得ず、タスクが遠い未来にある。
彼らは家の中で出来ることとして、干した藁を編んで草履や籠を作ったり、皮をなめして服を作ったり、余った布を張って楽器にしたり、それでも時間が余れば話をし、考え事をした。それらの活動が文明・文化を作った。
彼らは締め切りがあるからやっていたわけではない。いうなれば家の中で退屈していたからやっていたのだ。
詳しい話は『暇と退屈の倫理学』に譲るが、ともあれ「時間の糸に十分な間隙があり、何かタスクを作らずにはいられない」状態を「退屈」と呼ぶのだ。
退屈を享受せよ
ただし、退屈である・間隙があるということはそのままリラックスを意味しているわけではない。「なかなか来ない電車を待つ」など、緊張状態を維持したまま間隙が生まれることもあるだろう。
そういうものは、「電車に乗る」あるいは「目的地に行く」というタスクが完了できているわけではないため、締め切りのキャパシティに余裕ができたわけではない。
電車が来なくてイライラしているとき、退屈にイライラしているわけではなく、締め切りのキャパシティを空けられないことにイライラしてるのだ。
今回作り出し、観測したいのは「時間の糸」が緩んだ状態である。締め切りのキャパシティに十分ゆとりのある状態である。
意図的に「なにもしない」時間を作る。時間の糸を緩める。人はリラックスしていき、そのうち退屈する。ここで初めて観測できる。
僕が「退屈してほっとした」と表現したのはこれだ。タスクを詰めすぎて、緊張状態がほどけなかった。タスクを無理やり解放してあげたことで、ようやくリラックスでき、退屈できたのだ。だからまた仕事ができる。
面白くもないとわかっている漫画を漁るのをやめよう。惰性でソシャゲのデイリーを回すのをやめよう。時間があるからと仕事を詰め込むのをやめよう。家事が大変なら、機械に任せたり、いっそ他のやることを断ろう。
暇をあえてそのままにしよう。そうしたらいずれ退屈してきて、頭の中にやりたいことが浮かんできて、実行する時間も体力もある状態になる。だから胸を張って退屈を享受せよ。
おまけ
P.S. 冒頭のBGMが使われている『ファミレスを享受せよ』はだらだらやるのに最高のゲームです。
自分でゲームするのがめんどくさいならこちらの周央サンゴさん(ンゴちゃん)の実況がおすすめ。キャラクター(特に冒頭の動画で映っている『ガラスパン』というキャラ)の声当てがうまく、かつ主人公になりきったンゴちゃんがいいキモさを発揮してます。7時間ある動画を、共感性羞恥でのたうち回りながら12時間かけて観るといいです。ンゴちゃんの動画の中で1,2位を争うぐらい好き。