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精神科デイケアとわたし。

わたしの最初の職場は、精神科病院でした。
その中で、わたしがソーシャルワーカーとして配属されたのは「デイケア」という部署でした。

1.精神科デイケアとの出会い

「デイケア」と聞くと介護サービスのデイサービスを思い浮かべる人もいるかもしれませんが、それとは別です。

正しくは「精神科デイケア」という部署で、外来治療の一環としてリハビリテーションを行うところです。
法的な位置付けは福祉ではなく医療となり健康保険が適応されます。

リハビリテーションと聞くと、身体的な機能の回復などを表す際に使うことが多いように思うのですが、精神疾患と向き合っている方達にもリハビリテーションがあります。

精神疾患に対するリハビリテーションは、日々の生活自体がリハビリテーションとなる時期もありますが、デイケアという場では集団・グループという構造を治療的に活用していきます。

デイケアでは運動療法やソーシャルスキルトレーニング、疾病教育、就労支援、余暇活動など提供するサービスメニューは多岐に渡り、利用者さんはその中で自身の興味を持ったものや、将来的な希望に役立ちそうなものを選んで利用します。

その方の目標などから来て、複数あるプログラムから選び参加してもらうことは中心としてありつつも、プログラムありきではありません。

デイケアによって考え方も違うかもしれませんが、
 ・家からデイケアへ出かけ、一定の時間を何らかの方法で過ごして帰ってくる。
 ・疲れたを自覚した時は思い切ってプログラムには参加せずコミュニケーション
  をとり休息してもいいと思えるようになる。

など。
こうした過程がリハビリテーションに繋がっていくという段階にいる利用者さんもいます。

プログラムだけではなく、デイケアという構造の中で活用できるあらゆる側面を、その人にとってリハビリテーションとして位置付ける。それを利用者さん自身も明確になり利用できるように提案したり、動機づけをしていく個別的な支援も大切な役割です。

またそうした刺激の中でかかってくるストレスに対しては、出てくることは前提の上で、その時にその人がその人なりに今までよりもダメージを残さない行動や思考を選べるようになることもまた、再発の予防の視点では大切で、そうした力をつけていただくことも目指します。

デイケアの特徴としてこれらのプログラムやその他リハビリテーションに繋げる機会を多職種で運営しています。
医師、看護師、作業療法士、臨床心理士、そして精神保健福祉士など。
1人の利用者さんに対して、それぞれの専門性を持ち込みながら関わっていきます。

2.わたしにとっての精神科デイケアでの日々

約5年間ほど勤めた精神科デイケアでの日々。

それは、『 "精神保健福祉士" の専門性とは何だろう?』という気持ちを日々持ちながら、向き合うことができた時間でした。
先にも述べたように、デイケアは多職種チームで利用者さんへリハビリテーションを提供する場所です。

職種は違いますが、扱う業務は基本的に殆ど共通です。
・事務、運営的な業務
・プログラムの運営
・イベントの企画、準備
・個別面談
・利用時間内におきた利用者同士のトラブル
・記録の作成
などです。

一見すると、同じことを皆でやっています。
利用者さんから見ても、「看護師さん」「作業療法士さん」「ソーシャルワーカーさん」という認識ではなく、「デイケアのスタッフさん」。時には「元看護師さん」「元作業療法士さん」と呼ばれることもありました苦笑

そんな環境です。
だからこそ、そこに従事するわたしたちは自らそこに多職種チームで関わる意義を意識していないと、スタッフの個別性(男女、年齢、経験など)での関わりに留まりかねないのです。

当時のわたしはここが実践経験のスタートの場。
そもそも精神保健福祉士の専門性を理解しているだろうか?
求められている視点から見れているのか?
他の専門職の色も混ざってきますので、とても不安を感じていました。

同じ部署に精神保健福祉士は自分も入れて大体2名ほど。そして、異動で入れ替わりも多い時期でしたので、日常業務の中で接点のある精神保健福祉士が少ない環境でした。
他の職種の同僚たちは、病棟などで自分の専門性に特化して業務をしてきた経験を経て、デイケアに異動してきた人たちしかいなかったので、より色が濃いように自分には見えてくる。
専門職として適切な方向に自分が成長しているのか、当時は確認するす術がありませんでした。

そういう点では、不安な日々ではありましたが、今振り返ると、

「意識して専門性って何だろう?」

と自分に問いを投げかけていたことは良かったと思います。
環境が同じ精神保健福祉士だけの環境であれば、意識せずとも染めてもらうこともできたかもしれません。

わたし個人のキャリアとしてはその後、医療相談室でのキャリア期に繋がります。
相談室も多職種で仕事をしていきますが、部署としては同じ精神保健福祉士だけが配属された環境です。
後に、そんな環境で業務をしていくことになります。他職種チームでの部署と、専属部署とどっちの環境で始めるのが良かったのだろう?と今でも思うことがありますが、その人の個別生もあるかと思います。

わたし個人は、多分ですがこの順番だったからこそ、今も続けられていると思っているので、良かったと思っています。

身近に精神保健福祉士が少なかったからこそ、自分の所属の外にその視点を育てる居場所を探しに行きました。

日常業務の体験の中で概論ではなく自分自身で考えて考えて、他の職種と常に比較をしながら、
「これが精神保健福祉士の視点だろうか?」
「それともこれだろうか?」
「自分がここで専門職として配属されている価値はここではないか」

正解かはさておき、身を持って擦り合わせていった時間はとても財産になっています。

3.最初に学んだこと、今続けられている原点

「この世界でずっとやっていくと決めたわけではないけど、やってみようかな。」

自己紹介でも書いたように、こんな気持ちでわたしは精神保健福祉の世界に足を踏み入れました。

精神科デイケアで私がもらった最大のギフトは、
『精神保健福祉士という側面だけでなく、この人である「わたし」と定義するあらゆる側面が、誰かにとっての社会資源になりえるのかもしれない』
でした。

ある利用者さんとの日々の関わりの中で、専門職である前に、まだ若かったわたしを孫のように関わってもらった経験がありました。

当時のスタッフは年齢層も一回りずつ離れていて、「孫」のような年齢はわたしだけでした。まだ精神保健福祉士としては確固たるものを持っていなかったわたしですが、その方は限られた方を除き、ほとんどの親戚と疎遠でした。
そして、とても長い期間、精神疾患と付き合ってきた人でした。

この頃のわたしは、まだ自分にできることなど何もないと思っていました。
そんなわたしに、「孫のような存在」という価値を与えてくれました。

「専門性を築いていくことはもちろん大切。
でも、それだけが支援じゃないのかもしれないな。
少なくともその人にとって孫を持ったような気持ちで人生を送る体験を、貢献することができるのかもしれない。」

そう思った時、とても肩の力が抜けた体験でした。
「年齢や性別、個性、全てが目の前の誰かの人生、生活を彩ることに役立てるのかもしれない。」
「こんな自分でも、何かできることがあるのかもしれない。」

自分はここに居ても良いんだと思えたこと、この自分にもすでに強みがある。
全員に当てはめることができる強みではないかもしれないけれど、だからこそチームでやっている。
それぞれのスタッフ、利用者さんの強みを捉えて進んでいけば良いんだと。

それはとても、わたしに勇気をくれる体験でした。

その利用者さんとはその後、デイケアから医療相談室へ籍を移した後も細々とやりとりがありました。大変なことも沢山ありましたが笑
わたしは、この先もずっとその方に感謝をします。

わたしがこの世界に生き続ける原動力は、あなたでした。

「ありがとうございました。」

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