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【③#2】苦しみは自由へ扉ー人生謎解き宇宙への旅 A・SO・BE

なんで生まれてきたの?


なんで生まれてきたのだろう?
なんでこんなことしてるんだろう?
なんで生きてるの?
なんのため?
私ってなに?
本当の事は?
そんな疑問を持ったことがある人は多いのではないだろうか。いや、ほとんどの人が一度はそう思うのではないかな。

私は子供の頃から常にこの疑問があった。
子供の頃は「なんで?」と単純に”生”に対する疑問、「良いこと/悪いこと」に対する疑問、人間って何だろう?という”生物”に関しての疑問、大人を見て「なんだか大変そうだな。生きるって何なのかな?」「なんで苦しかったり、悲しいことがあるんだろう?」と心を痛めながらも、少し距離感を持った疑問だったような気がする。
しかし、大人になってからのこの疑問には辛辣さが加わってくる。
完全に当事者で客観視する余裕がないほど人生で起こることに対しての苦痛、苦悩、悲しみ、挫折や絶望、”人生”に楽しみが見いだせなくなり、この疑問が現れる。
一般的に否定的と言われる感情が起きた時に。
「なんで生きるんだろう?」「なんで生きていなければいけないのだろう?」と。
夢も希望もなくなり、暗闇のどん底。辟易し、投げやりになり、もがく。

私も30代初めのころ本当に辛く、苦しく悲しくて、どうしていいかわからなくなり、絶望の淵にいた時にこの疑問が起こった。
苦しいのに頑張って仕事や日常生活をしている私と、落ち込んでどうにもできない私が混同し、自分が分離していくような感覚。
生きていたくない。死にたいと思った。

そんな時、2日間のテニスの試合があり仲間たちと宿泊した。いつもは超元気で、強気で威張り、率先してにぎやかな私が言葉少なく、ヘロヘロに弱って泣いている。みんなどうしていいのかわからず声をかけない。
飲み会の場で一人沈みながら「死にたい」と言ったとき、いつもは舎弟のようにしていた男友達にものすごい勢いで「あっこさん!いくらあっこさんでも俺その言葉は許さない!死にたくなくても死ぬ奴もいるんだよ!」と怒鳴られた。
彼はお兄さんを病気の突然の発作で亡くしていた。
「そうだよね。そうかもしれないね。わかってるよ。だけど・・・苦しいんだよ」と、激怒した彼に驚き、彼の言葉を頭で納得しながらも、心は痛みでいっぱいで承知できず泣いていた。「でも、どうしようもないんだよ。」と。
そして次の日、もう一人の男友達が試合前に「あっこさん、人生はそんなに悪いもんじゃないよ」と言った。
私はうわあぁ~と大声を出して彼に抱きついて泣いてしまった。

この二人の言葉が私を救ってくれた。

苦しみはギフト

それから私は意識的に自己探求の道に入った。
本当のことを知りたかった。楽になりたかった。

”人生”でどうしようもなくなったとき、生命への根本的な、そして生命として最重要な疑問が湧いてくる。

「なぜこんなに苦しいのか?」

「なぜ生きるのか?」
「なんでここにいるのだろう?」
「私は何者なのだろうか?」
「これはいったいなに?」
「本当のことは?」

人間は赤ちゃんが生まれた時「おめでとう」という。
「生まれてきておめでとう」と。
生まれてきておめでとう?
おめでとうじゃない。ご愁傷様だ!
苦しい時は本気でそう思った。

ならばなんで生まれてきたのだろう?
なんで生まれた時みんな「おめでとう」と言うのだろう?
先に生きてきている大人は人生は楽しいことばかりではない、苦しく辛いことの方が多いということも経験済のはずなのに。

きっと「おめでとう」と言うなにかおめでたいことがあるのだろう。
何か隠された秘密があるのだろう。

苦しみと共にこんな疑問を持ちながら、神秘の扉をたたいた。

自由への神秘の扉「人生謎解き宇宙への旅」!

あれから30年近く、真実・本質を求め、自己探求をし、”人生”のカラクリ、謎が見えてきた。

「なぜ生きるのか?」
「なんでここにいるのだろう?」
「私は何者なのだろうか?」


苦しみと共にこの疑問が起こるのはギフト!
本当のこと、本質への神秘の扉が現れる。
宇宙全体から贈られる最大の謎解きゲームへの招待状


たとえまだ宇宙に到達していなくても、カラクリがあると知っていれば途中障壁にぶち当たり苦しんでも「何かある!」と諦めずに進むことができる!

人生の謎を解き自由で大きな宇宙への旅。人生を遊びにする!
私はそう決意した。

謎を解き、広大な宇宙への穴を開ける旅。
あなたもご一緒にいかがですか?

ギフトを受け取って、旅をしようとするかしないかはあなた次第。

不思議の国のウサギの穴は広くて深い。
ホール(hole 穴)を開けてホール(whole 全体)に・・・ね。



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