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昔の服を今も大事に着ている両親の気持ちが、少し分かった気がする

別に貧乏ではない。
でも、ぼくの両親は本当に服を買わない。
昔のものをずっと大事に着ている。
ヒートテックはヨレヨレだし、ジャージもクタクタだ。
たまに兄弟でお金を出しあっていい服や靴を買ったりすると喜ぶのだけど、「いいよ、そんなの買わなくたって」という態度。
でも父も母もおしゃれには興味があるのをぼくは知っている。

それでも両親は服を滅多に買わず、昔からの服を着続けている。最近のことではない。物心ついたときからずっとだ。
子どもの頃から疑問で、大人になってからも「いつまでそれ着てるの?新しくしたら?」と思っていた。
でもなんとなく今になって、その意味がわかってきた気がする。
「自分だけのための投資」をやめて、子どもに全振りしていたんじゃないかと。

独り身の時、結婚した時、そして子どもが生まれて家族が増えると徐々に「お金についての意識」が高まる。
夫婦ともに働いているし、今はある程度貯金もできているので、別に切羽詰まっていて毎日家計が火の車、なんてことはない。
でも「この子のために少しでも多くお金を残しておきたい」と漠然と思う気持ちが自然と強くなる。(そりゃ長い将来への不安もあるけど)

もともとぼくはお金をかける趣味はそんなにないし、お金を使うタイプではないのだけれど、妻や子どもに関わらない「自分だけのため」の消費について、よく考えるようになった。
本を読んだり、フットサルしたり、マラソンしたりするために使うお金は、全ては「妻や子どものため」と捉えられる。健康を維持する、勉強することがより家族にとって良い未来につながるからだ。
(と、こう書いてしまうと何でもかんでも「家族や子どものため」と捉えられそうな気もしてきた)

でも服はどうだろう。ぼくがぼくのための服を買ったところで、妻や子どものためになるだろうか。人によっては「自分を輝かせるため、良い気持ちでいるため」と考えるかもしれない。あるいは、かっこいい服を着ておしゃれな夫または父親であることが、妻や子どものためとも考えるかもしれない。

もちろんみすぼらしい格好は品格を下げてしまうし良くないけれど、なんとなく自分のためだけにお金を使うのを躊躇する場面が増えてきた。
まぁ、この歳になってからなんとなく服に対しての執着が無くなってきたというのもあるのかもしれない。質の良いものをちょこっと持っていればそれで良いのだ。

「自分の服を買うくらいなら、子どもにいい服を着せたい」という気持ち。食事の時、まだ食べたいという子どもに自分の分を少し分け与える、あの温かい感じに似ている。

もしかしたら両親もそうだったのかな。いや、全く違ったりして。
自分の総資産が20億円くらいあったら、そんなこと考える必要ないんだけど、まぁこれが人生ってものだろうか。

なんてこと思う土曜日の朝。

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