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都市型狩猟採集生活にみる「都市の幸」

昨日、坂口恭平氏の「ゼロから始める都市型狩猟採集生活」を読んだ。

これがもう、面白かった...。ツイート内容とかぶるけど、ぼくは子供の頃から秘密基地やアジトにあこがれていて、近くの公園でガラクタを拾っては、よく作っていた。自分の部屋にある学習机の下にこもって、「洞窟だ!」とか言ってそこでおやつをひっそり食べたりした。押し入れに入って懐中電灯を照らしながら本を読んだりもした。

おとなになっても、外を散歩していて「ここには掘っ立て小屋建てられそうだな〜」「ここにはこんなスペースを作ったら楽しそうだなぁ〜」とか考えてしまう。今更ながら、建築家とかを目指すべきだったんだろうか、と思う。

この本には隅田川流域や多摩川沿いに粗大ごみや捨てられた廃材を使って空間を作る住人の様子が書かれている。

ガソリンスタンドでバッテリーをいただき、教会で服や毛布をいただき、飲食店のロスした食材をいただき、捨てられたダンボールを使い、雨水を濾過して生活する人たち。

海沿いに住む人には「海の幸」の恩恵が
山の近くに住む人には「山の幸」の恩恵が
そして都市に暮らす人には「都市の幸」があるという。

普段何気なく捨てているゴミも、視点を変えればそれは素晴らしい材料になる。誰かが捨てたゴミ自体を生活するのに必要な素材の一つとして考える発想。まさに捨てる神あれば拾う神あり、だ。

一文無しになっても、家がなくても、「都市の幸」を受けられれば、なんとでも生きていける。しかも、変な世間体や働くことに縛りがない彼らはとても自由に見えるという。かつてのアメリカのヒッピーのようなスタイルだ。

所帯をもって、普通の家に暮らしている以上、彼らと同じような生活を明日から実践することはむずかしいけれど、自分たちだっていずれ職も家もなにもかもなくなってゼロになる日がくるかもしれない。

そうなったときに絶望するか、それともワクワクするか。この本を読めばきっとワクワクするはず。

実際そうなったらずーんと絶望しそうだけど...。

そもそも、土地を誰かが所有していてお金で買うことや、水を管理してお金を支払っていることに著者に坂口恭平氏は疑問を持っている。かといって「すべての土地を開放します!」とか言われたら大変なことになるし、ある程度は抑制のためにも必要だなとは思ったけれど、そもそも自然としてそこにあるものを人間側が勝手に所有して管理するのもなぁ〜と思う。

野良猫もミミズもアリも、僕の家の庭に入るときに「おじゃましま〜す」なんて言わないし、言う道理もない。

所有よりも共有する
新しいものを生み出すよりも、視点を変えてすでにあるもので違う価値のものを生む

こういう世の中の風潮のなかで、住まいやくらしは今後どうなっていくんだろう?

なんてことを考えた夜でした。

朝の30分で書くnote、n日目。

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