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「死にたい。」ってなんだ


この記事を読んで、漠然としたものにちょっとでも言葉の網目をかけられるようになったらいいと、そう思う。


死にたいってなんだ。



時々ふと、どうしようもなくだめな時があって、
その時私はポンコツになってしまう。


だめだだめだ、と思い悩んで、いったい何がそんなにダメなのかと普段の私なら思うんだけど、どうもその時は本人なりに必死に悩んでいるらしい。

死にたい、と思ってしまった時、私はふわふわと死のことを考える。


できれば、人気のない湖畔のほとりで、あさもやがかかる山奥で、
静かに1人で死にたいと思う。


魚が跳ねた音が耳に入って心地よい。
音のした方へ目を向ければ、ふわん、ふわん、と波紋が静かに広がっている。


そんな所で私は死にたいと思う。

死にたいと思ったことは、正直に言ってしまえば、1度や2度じゃない。

「じゃあ、死ねば?」って。

そういうことじゃ、たぶんないんだよな。

言葉にできない黒いもやもやが、自分のこころの奥底にあって。


それを言葉の網目に掛けようとすると、大きくて、漠然としすぎて。

今の気持ちにぴったりじゃないけど、これでいっか。って思った網が、

「死にたい」

って気持ちなんじゃないかなと、思う。


仕事で疲れた時、受験に落ちた時、恋人と喧嘩をしてしまった時、お金が無い時、事業が失敗した時、振られた時。

もっとたくさんの「やだな」があって、それを言葉に表そうとして、出てくる言葉は「死にたい」ってまとまってしまう。

googleで検索しても一番上に出てくるのはコールセンターで、確かにそうなんだけど、違うんだよなぁと感じてみたり。

「死にたい。」ってなんだ。
あの、心にぐわーっと上がってくる衝動と、脱力感と、虚無感。

誰かに怒りを感じたときに言葉で言い表せないのと一緒かな。
本当に死にたいときはまた別として。

今回は、私が普段生きていて時々感じる「死にたいな」って気持ちを書いたけれど、これは一種の衝動的なものだと思う。
これがうつ病であったなら、また別の感情に苛まれるんです。そのお話はどこかでできるかな。

これで私が思うのは、
こういう衝動なのだから、理由をつけなくてもいいよ、っていうこと。
「死にたい」に対する言葉は「なんで?」とか「死んじゃダメだよ」ではなくて、たぶん、何気ない会話とか、友達の一言とか、そういう、些細なものであってほしい。

それだけで「あ、こっちに戻ってこなくちゃ、と思えることがある。

もし、死にたいって言葉以外に自分の黒いもやもやや虚無感、脱力感を包める言葉があったら、私は死にたい、って使わなくなるのかな。

耳を澄ませて、こころを聞いて。
誰かに握ってもらえるなら、手を握ってもらって。


そうして今日も、死にたいをやり過ごす。
なくすことはまだできないから、少しでもこの衝動が短くなるように。

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