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日本人同士にだって、「多文化共生」はあるよねって話。

兵庫県神戸市は、人口がぐんぐん減っている一方で、外国にルーツを持つ人の転入がぐんぐん増えている。いま、私が住んでいる区で計算してみると、3.5%を超えていて、全国的に見てもハイレベル。

当然、お役所の施策にも「多文化共生」を謳うものが増えてきた。

大学のリカレントで一緒になった友人から、
#LLブック
を教えてもらい、
#やさしい日本語  に興味を持つ身としては、それを活用できそうな多文化共生プロジェクトに絡んでいきたい!
それで、あれこれ調べているうちに、セットで出てくる言い回しとして

異文化を理解しましょう

というのが目につくようになった。
あくまで私の感覚だけど、地域のくらしについて語られるときは「多文化共生」が用いられることが多く、シチュエーションが会社など働く場所に変わると、「異文化理解が大事です」という課題のほうが、より強調される表現になっているような気がする。

「異文化理解」については、以下の2冊を読んでいるところ。

いずれも面白い。
が、しかし。読めば読むほど、

なんで、外国の人との話ばっかりなんだろう?

という思いが強くなってきた。日本人の中にも文化が違うなと感じる人はいるし、なまじ同じ「日本語」で語り合えるだけに、
「なんで、こんなに伝わらないんや!」
とイライラするのは、日本人が相手のことが多いんじゃないか・・・。

「多文化共生」

とは、異文化を持つ人同士が一緒に暮らすことを指すらしい。この定義をベースに考えると、いわゆるジェネレーションギャップを感じる上司とか、性格の不一致で別れたパートナーなんかも、「異文化人」。

幻冬舎の敏腕編集者として知られた箕輪さんも、こんなことを書いている。
https://diamond.jp/articles/-/342636?page=2

スマホによって世間は分断された。

 昔のように家族で同じテレビ画面の前に座り、会社や学校で昨日の番組について話題にすることはなくなった。今の人はスマホという小宇宙の中で生きている。スマホは飼い主が見たいものしか差し出さない。ゲームが好きな飼い主にはゲームを、ゴシップが好きな飼い主にはゴシップを。バカはますますバカになる。

 フィリピンで果物を売っている商人と日本人の間にある情報格差は、日本人の中でも同様に存在するのだ。

ダイヤモンドオンライン 「意識高い系」なぜ廃れたのか…ブームけん引役が明かす「今ではよくわかる」理由とは?

愛知県が小中学生向けに出している資料がいい感じなので、PDFのリンクをはっておく。

愛知県小中学生向け多文化共生理解教材 より

https://www.pref.aichi.jp/uploaded/attachment/451900.pdf

ここに出てくる、車椅子を使っている男性は、イラストから察するに日本人なので言語コミュニケーションにおいて大きな不自由はなさそう。けど、生活全般においては、いろいろな不便を感じているんだろうな。

その点、私はスタイルは悪いけど五体満足だし、視力はどんどん下がっているけど、メガネをかければ見えるし、たぶん「マジョリティ」な人だと分類されてしまうだろう。

それでも、いろいろと不便はあるし不安もある。

#分身ロボットカフェ  で #グッドデザイン賞  をとった
吉藤さんが、こんなポストをしていた。


@origamicat Xの投稿より

住まい探しに困難を抱える住宅弱者が相談できるサポートデスクだと!
なんてありがたい。
上記ポストに書いてあるとおり、「フリーランス」はどんなに収入が多くても(そして私のように少なければ当然のように)住まい探しは困難をきわめる。だから、持ち家なんですよ。

「分譲マンションなんて、すごーい」

とか、歓声をあげられることもあるけど、こちとらマジ真剣な
リスクヘッジですからーーー

だいぶ話したかったことの本筋から逸れてきたが(いつものこと)
わたしが「やさしい日本語」を含めた、日本語を使った対話コミュニケーションで解決したいのは、

行政がみつけやすい、「わかりやすく困っている人」ではなく、縦割りの対策がいろいろあるのに、どこからもビミョーに漏れて、地味に苦労している人が置き去りになりがち

という現実なんだと思う。
私は、たまたまリスクヘッジできているけど、ホントに「たまたま」=運が良かった だけ。

恵まれたマジョリティを基準に設計された世の中で、「自己責任」と言われちゃうとキツイなと思っている人たちが、お互いの文化に違いがあることを踏まえて、助け合える世の中になるよう、コミュニケーションを深めていけたらいいなと思っている。

かなしいことに現実は、
「短尺動画」が最強と言われる世の中で。
深くコミュニケーションをとるなんて

コスパもタムパも悪いし
映えないし
バズらないし
エモくないし
「誰トク?」

と言われちゃう。
多くの人が自分(たち)の身を守ることに精一杯で、異文化人を「敵」とみなして攻撃したり、排斥しようとしたり、ディスったり が多いように見える。

それこそ、おのおのの文化における
「トク」の基準
がわからないけれど、ディスるなんて瞬間的なうさ晴らしより、後になるほどジワジワいい気分になれる選択肢が、あるような気がするんだよなー。

その選択肢を一緒に増やしていけるような仲間を、自分の周りに増やしたい。そういう人たちと、一緒にいたい。

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