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仲よしえのルーツを辿るシリーズ~ワタシの半生記4(どうも矛盾を感じる幼少期)
生まれて半世紀。
両親から早く離れたくて実家を出てからも、早くも四半世紀が過ぎてしまった。
そんな両親ももうこの世におらず、まあ、確かに記憶力が💩なワタシではあるけども、そうでなかったとしても幼少期の自分をたどるにはヒジョーに脳力を消費する。
それに、この四半世紀のあいだ、ワタシも成長した。両親や世間からかけられていた、さまざまな圧を振り払い、ワタシというものを徐々に知るようになり、自分は自分なのだと、自分自身が持っているものを信じて進めるようになってきている。
なので、あの頃の自分にあったブラックな感情とか、親からの圧力で苦しんでいた記憶とかが実をいうとかなり乏しくなっていて、確かにそれはあったはずで、ワタシはかなりそれに苦しめられていたハズなのに、その感情がかなり薄められ感じられにくくなっている。それは喜ばしいことではあるのだが、その頃の自分を紐解くには必然的に作業は亀の歩みになり、ヒジョーにまどろっこしい。
これまでたどった記憶で言えるのは、ワタシの幼少期はかなり両親からの”世間体”やら”常識”による躾をうけていて(それは我が家に限らずあの時代の多くの家庭がそうであったんじゃないかとワタシは思う)、やれ「お姉ちゃんだから」と弟たちの面倒をみさせられる割には「そうじゃないよ」とか「ほんとにダメだねー」などとやり方に文句を言われ、かなりグサグサと心臓をえぐられてたんじゃないかという、くらいだろうか。
そう、実際、ワタシは「褒められた記憶」がない。もしあったとしても、それを感じないくらい、それを大幅に上回るダメ出しをくらってきたという気がする。
褒められたくていろいろやった。これなら褒めてくれるだろう、と意気揚々と母の前にたって披露しても「ふぅん」で終わり、もう期待しなきゃいいのに、もう諦めたらいいのに、傷が多少癒えたころに同じ失敗をくり返し、また傷つく…
ワタシの自己肯定感があまりにもなさ過ぎたのは、そのせいなのだろうか。いやいや、確かにダメージの食らい方もすごかった気がする。ヒトによっては大して気にならないことでもワタシはひとり、勝手に傷ついたりしていた気がする。感情の起伏が大きくて、少し否定的な態度をとられると(あぁ、裏切られた)とか(もうこのヒトとは付き合えないや)と思ってしまう、
ゼロ か 1,000,000
くらいな極端なヒトだった気がする。。。
え、ちょっと幼いころのワタシがヤバいヒトな気がしてきた・・・
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