見出し画像

さかなくんの言葉

ネットでこんな投稿を見た

「魚は広い海の中ならお互い助け合うのに狭い水槽に入れて育てるとイジメが発生するんです、イジメをする人は生きてる世界が狭いんですね」という話し。これは魚博士のさかなくんの言葉だ

私はこの言葉を見つけて真っ先に日本社会について思い浮かべた

大人は子供に「イジメはやめなさい」といい社会では多数派が少数派に「多様性を尊重したい」という。しかし実際は子供のいじめは連日報道になり多数派は少数派を陰で嘲笑ってるのが現状だと私は思っている

この世の中に無尽蔵に散らばっている「きれいごと」はいったい誰のためのものなんだろうか…そんなことをボケーっと考えてしまった

さかなくんの言葉を借りれば「魚は広い海の中ならお互い助け合うのに狭い水槽に入れて育てるとイジメが発生するんです、イジメをする人は生きてる世界が狭いんですね」だ。日本社会は狭く封鎖的。であれば当然、大人の世界にもイジメがあり少数派は嘲笑い続けられるのでは?と思ってしまうし、このきれいごとは

”狭い世界を狭い視野で生きる人がつく嘘”なのでは?と私は思うようになったのだ

「イジメをやめなさい」大して社会も知らない大人が子供を授かりその子供に現実ではなく理想を押し付けていて、さかなくんの言葉や動物本来の習性も分からず「教育」と題してその言葉を子供に吐く。実際、大人の社会でもイジメは存在する。その現実も知らないような大人が子供にそれを伝える

私は夜景が好きでよく夜景が見える展望台や山に登ったりする。その場所から見える夜景は美しく素敵だ。けれど、私にはその夜景が「闇の中を照らす嘘」にも見えてしまう。それが「イジメはやめなさい」や「多様性を尊重したい」などのきれいごとにも見えてしまうのだ

さかなくんは魚の正直な生態系から「狭いとこにいるとイジメが起こる」と言葉にしてくれましたが世間はこの正直をそそくさと隠そうとします

「イジメはやめなさい」てまはなく「イジメは世の中からなくなりません。あなたはする方にもされる方にもならないで下さい」と伝えるべきだと思うし狭い日本社会の中で「多様性などバカバカしいです。けれどそれを言ってしまうと終わりなので少数派とも仲良くしましょう」と伝えるべきなんだと思った

言葉は便利だ。言い方を変えるだけで印象や意味が変わり本質を隠すことが出来る

もう一度言うがきれいごとは誰のために存在する光なんだろうか

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?