理屈の私、感覚の私
巡らせた思考をアウトプットしたくて書いた記事ですが、正直わかりにくいし読みにくいと思います。
私の記事を読んで下さっている方は薄々(ハッキリ?)気付いておられるかもしれませんが、私はめちゃくちゃ理屈っぽいです。
論理的で無い、話が通じない、調べない、考えない、という事が大嫌い。
解説、考察、指摘、ディベート、が大好き。
そんな純度100%の理屈人間の私ですが、ある一つの疑問を深掘りしていると、(私的には)とんでもない事に気付きました。
その疑問とは
私は、noteの記事や本・映画をタイトルだけで見る見ないを判断しているけど、人に対してはどうなんだろう?
というもの。
改めてちゃんと考えてみると、私は初めてお会いした人を、かっこいいとか綺麗とかそういうのではなく、私基準の第一印象でアリかナシかを判断している事に気付きました。
一度ナシと判断した人の話は、右から左。
一切の興味が無くなるし、存在が目に、耳に入らなくなる。
あまりにも極端です。
凄い能力を持っているかもしれない。
びっくりするような経験談を語ってくれるかもしれない。
私にとんでもないメリットをもたらしてくれるかもしれない。
話をしてないから、接して無いから、何もわからない。
なのに私は、完全に第一印象で判断している。
そこに理屈は皆無。100%「感覚」のみ。
他にも、鍼灸・整体の施術に関して、完全に感覚で行なっている事に気付きました。
『なんとなく、ここを施術したい。』
そう思った箇所に鍼をしたり、揉んだり、押したり。
が、後々思い返すと、すごい理にかなっている。
肩こり、頭痛、寝違い、腰痛、膀胱炎、妊活、自律神経…etc
なぜそこを施術するのか?
聞かれたら施術中でもすぐに説明出来る。
解剖学的にも、生理学的にも、東洋医学的にも、西洋医学的にも。
しかし、聞かれるまで、私の頭の中に理屈なんか無いんです。ただ「気になる場所」を施術しているだけ。それでちゃんと結果も出る。
むしろ、理屈先行で施術した方が効果が薄いとすら感じます。
私は、理屈はちゃんと頭の中にあるのに、手や体は感覚で動かしているんです。
私自身が気付いてなかった「私」
この事を妻に話すと
「あ、自覚なかったんや。あなたほど複雑な人を私は知らんよ。」
と言われてしまった。
更に
「一つ一つ覚えてないけど、いっぱいあるよ。ほんまカオスやで、カオス。言ってる事や行動に矛盾は無いんやけど、だから余計に難しいというか、理解が追いつかんというか…上手く言えんけど、あなたの中に、出す結論は同じやのに行程が真逆の2人がいる…って感じ?」
…いや、うん、なんか、ごめん。
理屈が悪いとは思いません。が、今まで理屈派の私が担当していた分野の一部を、感覚派の私が担当する事が出来たら、一皮剥ける気がする。
施術中のように、共存出来たら凄い気がする。
なんかわからんけど、私にとってめちゃくちゃ良い課題な気がする。難しそうだけど…いや、そう思えば難しくなっちゃうからダメだ。何からしようか…と、早速理屈の私がこんにちは。
そもそも感覚派なら、こんなアウトプットしないか…ぐぬぬ(笑)
二人の障害児の父
すけじろう
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