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探究学習にリベラルアーツの視点を

4月から縁あって、高校生向けの探究学習プログラムに再び携わることになった。

このプログラムは、オンラインで全国から集まった100名近くの高校生が、個々の関心分野別にグループで、3ヶ月間の探究活動を行うものだ。各グループには大学生がファシリテーター役(伴走役)として配置され、僕の役割はその伴走役となる大学生たちをマネジメント・サポートすることである。

プログラムの流れとしては、まず自己紹介やアイスブレイクを経て、個人とグループの目標設定を行う。その後、それぞれの関心事を共有し、グループでどのようなテーマで探究を進めるかをディスカッションして決めていく。しかし、応募時点で関心が近い高校生同士を同じグループにしていても、個々の興味関心にはある程度の違いが生じてしまうのが実情だ。

ここが伴走役となる大学生の腕の見せ所となるはずだが、僕の見る限り、多くは「みんなの関心が違うね」「それぞれに合わせて別グループに分かれよう」と言うパターンに陥っているように思う。僕もそうしたミーティングに参加して話を聞いているが、ふと「一緒に進められる方法はないだろうか」「みんなの関心を包括する大きなテーマはないものか」と自然と考えてしまう自分がいることに気が付かされた。

最近、特に思うのだけれども、僕は物事を単純化し、本質を捉え、構造化して意味のある関係線で結びつけること、新しい発想をすることが得意であり、かつ、それが好きだということだ。これは高校時代に濱口秀司氏に出会ってからずっと自分なりに磨いてきた能力なのかもしれない。その結果、人一倍そうした思考ができるようになったのであろうとも思う。

必死に頑張っている大学生たちを見ていると、残念ながら、そこまでの俯瞰力や深い視点を持ち合わせていないように思える。単にそうした発想法やフレームワークに触れる機会がなかっただけなのだろう。しかし、彼ら彼女らがどの程度の視野を持てるかによって、高校生の探究の質が大きく変わってくることもまた事実のように思う。

ここにきて、探究学習とは、視点の転換、抽象と具体の往還、論理と直観のバランス、異分野融合といったリベラルアーツの基盤となる考え方やフレームワークを身につける場なのではないか、と考えるようになった。学ぶ分野はさほど重要ではないように思う。各分野の専門知識は活用されるが、より重要なのはジェネラルな「考える力」や「考え方」そのものなのかもしれない。

今回のサポートは3ヶ月間だが、この機会に、人々がどのように考え発信するのか、またどのようにサポートすれば新たな考え方やフレームワークを共有できるのか、僕なりに探究を重ねていきたいと思う。


(以下、大学生にシェアした内容)

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