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読書「蒲団」田山花袋

読書「蒲団」田山花袋
1907年発表の中編小説です。
明治40年ですから、もう古典も古典。今から115年以上も前の作品です。
作者の田山花袋は、森鴎外との親交もあった人で、「金色夜叉」で有名な尾崎紅葉のもとに入門。
国木田独歩や柳田邦男などと、「叙情詩」などを通じて活動を共にしています。
中年の小説家の元に弟子入り志願してきた娘に対する、師弟関係を逸脱した、恋慕や性欲の情を、赤裸々に綴った内容で、日本の自然主義の方向性を決定付けた作品として、文学史上にブックマークされています。
同時に、本作が日本における「私小説」のはじまりともいわれており、本作の主人公竹中時雄のモデルは、もちろん田山花袋自身。
そして、弟子入り志願の娘横山芳子は、実際に花袋の弟子であった岡田美知代というモデルがいます。
時雄の設定は、既婚者で子供が三人いる30代半ばの作家。
芳子は備中と言いますから、今の岡山県出身の女学生で19歳。
親子とまではいかない、微妙な年齢差ですが、この芳子が、時雄の作品に惚れ込んで弟子入りを志願。
手紙による熱烈なアタックの末、最初は気の進まなかった時雄を承諾させ、上京してきます。
しかし、芳子を追って恋人の田中秀夫が上京してくると、時雄はこの恋人に強烈に嫉妬。
保護者としての立場をふりかざして、二人の仲を裂こうとします。
しかし二人がすでに一線を越えていることを知った時雄は、激怒して芳子を破門。父親と共に郷里に帰らせます。
そして、芳子が去った二階の部屋に上がり、彼女の体臭の染み込んだ蒲団にくるまり・・・
とまあ、お話としては、そんな内容です。
徹底的に自分の行動を正当化することを避け、美化することも良しとせず、若い娘に恋をして、嫉妬し悶々とする中年男の惨めさと悲哀を、ありのままに吐露しているところが、自然主義の文学の傑作として評されている由縁ですが、これが私小説というわけですから、本人だけならいざ知らず、芳子と秀夫のモデルにされた実際の二人にしてみれば、こりゃたまったもんじゃなかったろうなというのが正直な感想。
実際にモデルになった二人は、この小説の影響を、少なからず受けたようです。
自分の恋愛体験を小説にするにあたって、私はこんなにモテましたよなんて話をされても、確かに読む方はシラけるばかり。
こんなダメダメ中年の悲しき恋の末路を、純文学に昇華させて、読者の共感を得てこそ、小説家としての腕の見せ所だろうという気は確かにします。
ちなみに、ちょっと気になって、田山花袋の写真を検索してみましたが、これがなかなかのいかつい風貌。
娘のような年齢の弟子に入れあげる作家なわけですから、どこか太宰治のような神経質で、線の細そうな色男を想像していましたが、写真を見る限り、妙齢の女学生に弟子入りを迫られるというのは少々違和感が否めないというのが正直な印象。
もちろん、モデルとなった美知代が、田山花袋の写真を見ていたかどうかは定かではありませんが、まだメディアが発達していない当時においては、小説家たちが、庶民にとっての、国民的人気スターであったという時代はあったようです。
文学嗜好の強い少女たちにしてみれば、雑誌に掲載されるような小説の作家たちといえば、いわばジャニーズ系アイドルのようなもの。
ラジオ放送が始まるのが大正の終わりですから、それまでのマスメディアの柱といえば、やはり新聞雑誌や書籍。
そこで名を売っていた芥川龍之介などの人気はかなり凄まじかったようです。
明治の文豪然とした田山花袋が、芥川のようにモテたかどうかはわかりませんが、妙齢の女性を弟子として引き受ける保護者としての立場と、妻子ある身でこの弟子に、いみじくも女を意識してしまう哀しい性との間で揺れ動く、繊細かつ露悪的な心の動きは、実に丁寧に描かれています。
これは、太宰や芥川のように、自分がその気になれば、一緒に死んでもいいという女がすぐに見つけられるというような、モテ系文士では書けない文章だろうなという気は確かにしますね。

去っていった弟子の体臭が染み付いた蒲団に身を包み、夜着のビロードの襟に顔を押し付けてすすり泣くというラストが、当時の文壇とジャーナリズムには大反響を巻き起こしたようですが、小説家たるもの、自分の恥ずかしい行為であっても、きちんと臆せずにマナ板の上に乗せて、文学として料理出来なければ一流とは言えないというスタイルがメインストリームに躍り出てしまうと、やはり中には抵抗のある作家もいたでしょう。
田山花袋は、本作の前に「少女病」という、ロリコン小説も書いていますので、自分の恥部に深く切り込むことを、ややマゾヒステック的に取り上げ、なかなり際どいテーマを、文学という俎上に乗せることを好んだ作家と言えるかもしれません。
本作のラストシーンは、100年後の現在なら、あまたあるアダルトコンテンツの中には、無数に見かけるシチュエーションではあります。
でも、メジャーなテレビドラマでは、やはり隠微なムードが漂うのを嫌うのでしょうか、あまり見かける気はしません。
そういう意味では、より過激なAVの世界の方が、純文学には近いのかもしれません。
作家の弟子という設定こそないかもしれませんが、例えば、息子の嫁の下着に顔を埋めるエロ親父とか、あこがれの女教師のロッカーの服に鼻を押し付ける男子生徒なんていうシーンなら、エッチシーンへの導入部としていくらでもありそうです。
こんなシーンも、卓越した文章力で、感情の機微を繊細に表現できれば、文学作品にもなり得るのかもしれません。
こういう経験というものは、もしもあったとしても、それを誰かに告白するというのはなかなかな出来ないものです。
大抵の人は、墓場の中まで持っていく人に言えない黒歴史として、生涯秘密にしておくものかもしれません。

さて、そこで白状してしまいますが、この経験、実は僕にもあります。
高校時代の話で、もうとっくに時効でしょうからいいでしょう。
当時、我が実家は、駅前の本屋でした。
そこそこ大きいな本屋で、両親の他に、常時女性のパートが2名程度いたんですね。
近所の主婦であることが多かったのですが、中に一人当時22歳の若い独身女性が働いていた時期がありました。
彼女は岩手から上京(埼玉県でしたが)して来ていて、近くにお兄さんと一緒に住んでいました。
この彼女が、すこぶる美人だったもので、色気づいてはいるものの、彼女も出来ずに悶々としている高校生だった僕は勝手に舞い上がってしまったんですね。
彼女の休憩時間というのが、午後4時半から30分と決まっていて、必ず店の奥のキッチン兼休憩室で、母親が用意した軽いスナックをつまみながらお茶して過ごすのですが、このタイミングになると、僕は必ず階下のこの休憩室に用もなく降りて行って、彼女とダベッてましたね。
もちろん口説くなんてことは出来ません。とにかくとっておきのネタを用意して、いつも彼女を笑わせていたことだけは覚えています。
その彼女と一度だけデートらしきことを経験したことがありました。
お店では、文房具も扱っていたのですが、そのメーカーによる文房具見本市というのが、港区の赤坂で開催されるという招待状が、我が家にも来たんですね。
それは二枚で、もちろん我が両親宛に送られてきたものなのですが、まだ一度も都内に出たことのない彼女に行かせようということになり、そのエスコート役に僕が指名されたというわけです。
当時はすでに、都内のあちこちの映画館には通っていたので、電車の乗り継ぎなどはほぼ頭に入っていて問題はなかったのですが、これは緊張しました。
これはいいところを見せないといけないう思いで、なけなしの小遣いで、当日の服装はすべて新調しましたね。
見本市は、食事も込みのイベントで、かなり高級なレストランでのフルコースだったので、これは彼女の方がかなり緊張していました。
東京まで出て来て、そのまま帰るのも芸がないので、帰りは勝手知ったる丸の内線で新宿まで出て、ゲームセンターで遊んで、お気に入りだった喫茶店でコーヒーを飲んで帰ってきましたが、その頃になると、彼女の方もだいぶほぐれていて、駅までの道は、この年下のジェントルマンに対する大人の女の礼儀として、腕を組んで歩いてくれたのを思い出します。
こんなことがあって、彼女は完全に童貞高校生にとっての憧れのマドンナになってしまったのですが、或る日突然、父親にこう告げられます。
「◯◯さん、結婚が決まったそうだ。ここも来月までだって。」
「男はつらいよ」の寅さんではありませんが、なんだかガックリと膝の力が抜けたのを覚えていますね。
もちろん、それでも、彼女の休憩時間には、相変わらず出没しては、あいも変わらぬバカ話は続けていましたが、とうとう彼女本人の口から、結婚の話を聞くことはありませんでした。
今なら、Lineの交換くらいならしておくところですが、わかっているのは彼女の住んでいる家と、家電の電話番号のみ。゜
いよいよ、あと数日で彼女が退職という或る夜、キッチンに夜食を漁りに降りて行った僕は、ふとしたはずみに、隣の和室の隅にぶら下がっている、彼女の仕事用のエプロンを目にしてしまいます。
気がつくと、ハンガーにぶら下がったままのそのエプロンに顔を押し付けて、はっきりと彼女のものだとわかる匂いを鼻腔に吸い込んでいましたね。
涙こそ出ませんでしたが、完全に本作の、ラストシーンのシチュエーションです。
それから、なんだか急に切なくなって、自分の部屋に駆け上がった記憶です。
結局その日から、彼女が退職する日までは、もう休憩時間に階下に降りていくことはありませんでした。
彼女が退職したその日も、帰宅したのは夜の8時過ぎ。店のシャッターが降りてからでした。
母親から、彼女が退職したことと、僕によろしくと言っていたということを告げられても、無理して「あっそう」と気のない返事をしたのを覚えています。

以上。ザッツ・オール。

秋晴れの畑で野良仕事をしながら、ふとチョイスした朗読動画がこの田山花袋の「蒲団」でしたが、思いがけずに、もう45年も前の自分の恥ずかしい思い出が蘇りましたね。
いまや、自他共に認めるスケベじじいに成り果てている身なので、これしきの告白くらいは、喜んで語らせてもらいますが、ここまでを読み返してはっきりとわかったこと。

自分には、純文学は無理。

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