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読書「社会契約論」ジャン=ジャック・ルソー

正月には、歴史的名著を一冊くらい腰を据えて読んでやろうと思っていました。
そこで選んだのがこの本です。
かなり敷居は高いですが、相手にとって不足はないと言う感じです。

我々ホモサピエンスが哺乳類最強の種族になった理由の一つに、社会性という能力を持つに至ったということが挙げられます。
社会性を持つことで、ホモサピエンスは協力し合い、知恵を出し合い、文化を創造することができました。

ルソーの社会契約論は、人間が社会的な動物であることを前提としています。
このイケメン思想家は、人間が自由で平等な状態にあるとき、どのような社会が成立するかを考察する必要があると述べています。
人々が自由で平等な状態から社会を形成するためには、どのような契約が必要なのか。
この契約によって、人々は自分たちの自由と平等を守りながら、同時に如何にして、社会的な制約を受け入れるべきかを考察しています。
ルソーは、この契約を「社会契約」と呼び、その本質的な条件を以下のように述べています:

- 各人は自分自身とその全ての力を共同体に提供する。
- 共同体は、各人の自由と平等を保障する。
- 各人は、共同体の決定に従うことを約束する。

社会性を持つことが、ホモサピエンスが哺乳類最大の種族になることにつながったように、社会性を持つことが、人間が自由で平等な状態から社会を形成するために必要なプロセスであったことは、歴史的必然性であったと言えます。


ジャン=ジャック・ルソーの生涯と思想


ジャン=ジャック・ルソー(Jean-Jacques Rousseau)は、18世紀のフランスの啓蒙思想家で、1712年にスイスのジュネーブで生まれ、1778年にこの世を去りました。
彼は合理主義に基づいて伝統と偏見を打破しようとした革新的な思想家であり、フランスの思想家として知られています。

ルソーは時計職人の父と裕福な家柄で育った母との間に生まれています。
母を幼い頃に亡くしたルソーは、父親や叔母によって教育を受けました。
幼少期から読書に熱中し、次第に思想家としての素養を開花させていくことになります。

そして16歳のとき、ルソーは放浪生活を始め、パリでは、音楽を主な仕事として生計を立てています。
といっても、ストリートミュージシャンと言うわけではなく、著名な音楽家の採譜活動が主な仕事だったようです。
この頃、彼はフランスの哲学者ディドロと知り合い「百科全書」の音楽の項目を執筆したりもていました。

1750年に、「学問芸術論」を書き上げた彼は、ディジョンのアカデミーの懸賞論文に応募し見事当選。
フランス学会において、一躍脚光を浴びることになります
1755年には「人間不平等起源論」を刊行し、文明社会の不正と堕落を批判し、人間の自然な善良さへの回復を説きました。
その後、代表作となる「社会契約論」「エミール」など多くの著書を刊行し、啓蒙活動を行っていきます。

しかし、彼の独創的で進歩的な考え方は、当時の社会からは受け入れられませんでした。
ルソーは政府や教会などから迫害を受け、スイスやイギリスに逃れることになります。
晩年はパリに戻り66歳で死去しています。
ルソーの思想は後に起こるフランス革命に大いなる影響を及ぼすことになりますが、フランス革命に先立つこと11年で、ルソーはこの世を去っています。

ルソーの思想は、自然のままの人間の善良な感情を重んじ、ロマン主義の先駆けともいわれます。

『社会契約論』は、1762年にフランスで公刊されました。
この著作は、ルソーの思想とその背後にある歴史的背景を探求する上で重要な位置を占めています。
1743年から1744年にかけて、ルソーはヴェネツィアでフランス大使の秘書官として勤務していました。この時期に、ヴェネツィア共和国の問題から着想を得て、政治制度についての構想を練り始めました。

ルソーはフランスで音楽活動を行いながら、文明社会における人間の徳の退廃や私的所有に由来する不平等を指摘していました。

『社会契約論』は、自然状態から社会の成立原理を明らかにする内容を探求しています。
ルソーは人々が共同体で自己実現するための手段として、「一般意志」というものを重視しました。
『社会契約論』は、一般意志に基づく社会契約説を説く内容であり、出版後は絶対王政期のフランス王国やカトリック教会から激しい反発を受けました。
当然ですね。
共同体の意思に、国家権力や教会権力よりもプライオリティーがあるなどと言う考えが、絶対王権の時代に認められるわけがありません。
しかし、その後、ルソーの思想はフランス革命に大きな影響を与えることとなりました。
『社会契約論』は、政治哲学における重要な著作であり、ルソーの思想が現代の民主主義社会にも影響を与えています。

歴史的背景と影響

18世紀のフランスは、アンシャン=レジーム(旧制度)という階級制度が残っていました。
アンシャン=レジームは、第1身分の聖職者、第2身分の貴族、第3身分の平民という社会構造でした。
特に第3身分の平民は、貴族や聖職者に比べて税金を多く負担していました。このような状況に不満を持った平民たちは、自由と平等を求めて革命を起こしました。
また、18世紀当時のフランスは、財政赤字が慢性化しており、国王は国民に対して新たな徴税を要求していました。このことも、革命の原動力となりました。
ルソーの思想が、フランス革命を起こした大衆たちの精神的支柱となっていた事は明らかです。

ルソーの思想は、フランス革命やアメリカ独立戦争などの民主主義運動に大きな影響を与えることになります。
彼の影響を受けた人物には、以下のような人たちがいます。

まずは、トマス・ジェファーソンです。
アメリカ独立宣言の起草者ですね。

彼は、ルソーの社会契約論について強い影響を受けたとされています。
彼はルソーの社会契約論において、人々が自由で平等な契約を結ぶことができる社会が実現されていないことを指摘し、社会の現状に対する批判を行いました。
ルソーの社会契約論に対する批判を通じて、自らの思想を発展させ、アメリカ独立宣言の起草において、人々の自由と平等を重視する考え方を取り入れました。

マキシミリアン・ロベスピエール。この人もルソーの影響受けた1人です。

ロベスピエールはフランス革命期の政治家であり、ジャコバン派の指導者の一人でした。
彼は、恐怖政治を導入し、多くの人々を処刑することで知られています。
しかし彼の政治的な理念は、自由、平等、友愛、公共の福祉などを重視しており、民主主義を標榜していました。
フランス革命の指導者であり、ルソーの社会契約論を熱心に読み、国民公会の議長として一般意志を実現しようとしました。

そして、カール・マルクスです。
マルクスは、ルソーの一般意志の概念を批判し、それを「支配的な階級の意志」として捉え、支配的な階級の利益を守るために使われると主張しました。
マルクスは、ルソーの社会契約論に対する批判を通じて、自らの思想を発展させ、資本主義社会の批判や社会主義理論の構築につなげていったわけです。
マルクスの言説のベースには、明らかに社会契約論が横たわっていたと言えます。

日本にもいます。
日本政治の風雲児。元明石市長の泉房穂氏も、青年期にジャン=ジャック・ルソーの思想に触れて、それが自らの政治活動の原点になっていると言うことを公言しています。
正月早々、貧乏百姓が、こんな小難しい本を手にしようと思ったきっかけになったのは、この人のYouTubeでのエネルギッシュな発言の中に度々、ルソーの社会契約論の話が登場したからに他なりません。


「社会契約論」の概要


「わたしは、人間をあるがままのものとして、また、法律をありうべきものとして、取り上げた場合、市民の世界に、正当で確実な何らかの政治上の法則がありうるかどうかを調べてみたい。」

以上は、社会契約論からの引用です。

「社会契約論」の詳細な分析

以下で、本書の章ごとの概要について説明します。

第1章「人間の自然状態」について。
人間が自由で平等な状態にあるとき、どのような社会が成立するか。

ルソーによれば、人間の自然状態とは、人間が社会的な制約を受けずに自由に生きる状態のことです。
彼は人間が自由で平等な状態にあるとき、どのような社会が成立するかを考察しています。
この章では、人間の自然状態における人間の性質や、自然状態における人間同士の関係について論じられています。
ルソーは、人間の自然状態においては、人間は自由であり、他者によって支配されることはないと論じます。
しかし、自由な状態にあるため、人間同士が争いを起こすことはあると説明します。
ルソーは、このような争いを避けるために、人々が自由で平等な状態から社会を形成するために、どのような契約が必要かをまず論じます。

第2章「社会契約」について。

人々が自由で平等な状態から社会を形成するために、どのような契約が必要か。

この契約によって、人々は自分たちの自由と平等を守りながら、社会的な制約を受け入れることができます。
ルソーは、この契約を「社会契約」と呼び、その本質的な条件を以下のように述べています。

各人は自分自身とその全ての力を共同体に提供する。
共同体は、各人の自由と平等を保障する。
各人は、共同体の決定に従うことを約束する。

また、ルソーは、社会契約によって成立した政治的な組織についても論じています。
政治的な組織は、市民社会の正当性の原理である「一般意志」に基づいて構成されるべきであり、政府は主権者の代理人であり、市民の権利を保障するために存在すると考えています。

第3章「主権」について。 

社会が成立した後、どのように主権が確立されるか。

ルソーによれば、主権とは、国家の最高権力であり、市民全体が持つものであるとされます。
また、主権は、市民全体の意志に基づいて行使されるべきであり、市民全体が参加することで、一般意志が形成されます。
つまり、主権が確立されるためには、市民全体が参加することが必要であり、市民全体が参加しなければ、主権が成立しないとルソーは考えたわけです。

第4章「一般意志」について。

市民社会の正当性の規準として、一般意志がどのような役割を果たすか。

ルソーによれば、一般意志とは、市民社会の正当性の規準であり、市民全体が持つ政治的な意志のことです。
一般意志は、市民全体が理性的に考え、自分自身の利益だけでなく、社会全体の利益を考慮した上で形成されます。
ただし、ここで重要な事は、ルソーは、一般意志が市民全体の意志であるため、それが常に正しいとは限らないと考えていると言うことです。
これを前提にした上でも、一般意志は、市民全体の利益を追求するために必要なものであり、市民全体が参加することで形成されることの重要性を説明しています。
それが例え悪法であっても、そこに市民の一般意志が反映されているのであれば、それは、遵守しなければならない法たりうるというわけです。

第5章「政府」について。 

政府の役割や、市民が政府に対してどのような権利を持つか。

ルソーによれば、政府は主権者の代理人であり、市民の権利を保障するために存在だと考えています。
政府は、市民が自由で平等な状態から社会を形成するために必要なものであり、市民が自由と平等を守りながら、社会的な制約を受け入れることができるようにするために存在します。

政府の役割としては、市民の権利を保障することが挙げられます。

ルソーは、市民が政府に対して持つ権利として、自由、平等、所有権、安全、抵抗権などを挙げています。
ルソーの政治的立場は、自由と平等を重視する立場であり、市民社会の正当性の原理として「一般意志」が最大限に尊重されるべき社会の重要性を提唱しています。
また、政府は主権者の代理人であり、市民の権利を保障するために存在すると考えています。


現代への影響と評価


「社会契約論」の思想は、現代社会においても適用されるものがあります。
どんなイデオロギーに基づいた国家であっても、その国家運営においては、大なり小なり社会契約論の考え方が反映されていると言っても良いでしょう。
契約論が提唱する、人々との自由かつ平等な契約によって成立する社会の理念は、社会主義国家においても重要視されている場合も考えられます。

政府は、市民社会の正当性の原理である「一般意志」に基づいて構成されるべきであり、政府は主権者の代理人であり、市民の権利を保障するために存在することは、そもそも政治組織が担う責任の大前提であるわけです。
また、社会契約によって成立した政府は、市民が自由で平等な状態から社会を形成するために必要な制度を整備することを義務付けられる事は言うまでもありません

例えば、教育制度や医療制度など、市民が自由で平等な状態から社会を形成するために必要な制度が整備されることで、市民社会の正当性が保たれます。

しかし、「社会契約論」には批判もあります。例えば、ルソーの理論が現実的ではないという指摘があります。また、一般意志が具体的に何を指すのかが不明確であるという批判もあります。
さらに、ルソーの思想がファシズムや恐怖政治の出発点になったという批判もあります。

ルソーの社会契約論における、重大な主張の1つは、社会は人々との自由かつ平等な契約によって成立すると言うことでした。
この考え方は、現代の民主主義社会の基盤を築く上で、常に重要な政治思想の1つであるべきです。
しかし、日本の政治において、この精神が顧みられることがない状況になっていることは、途切れることなく続く、昨今の政治腐敗に関するニュースを見ても明らかです。

例えば、パーティー券裏金疑惑、政治家による一部企業への利益誘導、利権に群がる政治家。
そこには、30年間にわたる失政で、国民を貧しくした責任を感じる姿勢は皆無です。
私利私欲を満たすためと、保身のためだけに行われている政治活動。
政治家になったからには、権力の甘い蜜を吸うだけ吸わなければ、元が取れないと言う本心が透けて見えます。
どれだけ鞭をあて、搾り取るだけ搾り取っても、文句を言う事のない稀有な国民性の上にあぐらをかいて、選挙をする時だけ頭を下げ、議員になったら、その権力の上にふんぞりかえるだけの政治家たち。
彼らの意識の中には、300年も前に掲げられたルソーの理想は、今やかけらほどもありません。

人類が、社会を形成することで勝ち得た現在の繁栄を想うとき、その仕組みの上で甘い蜜を吸っているだけのフリーライダーたちに、鉄誅を下すのは、最終的にはいつでも大衆でした。
フランス革命然り。ロシア革命然りです。

現在の我が国の政権を担っている政治家や官僚たちは、この大衆のパワーを非常に侮っているように見えます。
彼らは、自分たちよりも下等な二級国民以下は、主権者が自分たちであることなど忘れ、そのポテンシャルにも気づかず、ただひたすらお上へ服従することにしか、自分たちの生きる道はないとマインドコントロールされていると思い込んでいます。
その自信があるからこそ、彼らの暴挙はとどまるところを知りません。

現在、日本の国の舵をとっている政治家や官僚の能力と知力、そして人格と品性の劣化は驚くべきほど進んでいます。
そして、逆に一般国民の政治へのリテラシーは、テレビ以外のメディアの発信力のアップや、AIの発達などにより知らず知らずのうちに向上しているように見えます。

もしも、日本国民が、自分たちの持つポテンシャルに気がつき、自分たちが政治を動かせるパワーを持っていることに気づいたとき、日本の社会は、よくも悪くも、音を立てて崩壊することは、もはや夢物語ではないかもしれません。
太古の昔よりわが国は、スクラップ&ビルドを繰り返して、成長してきたということは覚えておくべきです。

元旦早々に起こった能登半島地震の被害映像を、久しぶりにつけたテレビを見ていると、たまりにたまっていたものが音を立てて、噴出するエネルギーの凄まじさを感じざるをえません。
これは、これからの日本政治を象徴する映像として、羽田空港での飛行機衝突事故の映像と合わせて、なぜか脳裏に焼きついてしまいました。

現在のわが国の政治は、もちろん、民主主義の手続きに乗っ取って成立しています。
その権力の上に長期間安住していた政権は、必ず腐敗して崩壊することになるのは、今日では常識的な歴史的法則です。
そうなってしまえば、残念ながら、もはやそこにルソーが主張した社会契約は存在しません。

自分たちの一般意志が、果たしてどこにあるのか。
社会契約が存在しない政治の中にあっては、住民投票や世論などによる国民の意思は、蹂躙されるばかりです。
一般意志を政治に反映させるには、常に政治を変える力が国民にあると言うことを、政治家たちに思い知らせる以外に方法はありません。

ルソーの社会契約論の根本にあるのは、明らかに人間の良心です。
放置しておけば、エゴに走る人間の本性を十分に承知した上で、人間の社会には、それゆえに契約が必要であるとルソーは言っているわけです。

能登半島の災害の映像に心を痛める、日本人は相当数いると思っています。
そしてそこには、日本という社会を形成する一員としての共同意識と良心があるはずです。
良心を持つものが、良心を持たないものの意識を変えていくしか、日本の将来に光はささないと思えてきてしょうがありません。

墓の下で、いにしえのイケメン思想家は、我々日本人に対してこう言っているような気がします。

「それでも君たちには未来がある。ゆルソー!」

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