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企業再生メモランダム・第14回 東日本大震災について

「企業再生メモランダム」では、私が、20代の時に、複数の会社の企業再生に従事する過程で作成したメモを題材として、様々なテーマについて記載していきます。

メモの10枚目は9年前に作成した「東日本大震災について」と題したメモです。

対象会社は東北に位置していなかったため直接的な被災はなかったのですが、別地域の地震で、これだけ広範・長期間に経営に影響が出ることは想定しておらず、それこそ経営破綻が懸念されるような状況にまで追い込まれました。

本記事にあたり、改めて、東日本大震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された皆さまに心よりお見舞い申し上げます。

メモの背景

対象会社は、2010年夏頃から本格的な企業再生を開始し、赤字部門の閉鎖とそれに伴う整理解雇を決定し、不要不急の経費削減などを実施した結果、年間1億円以上の経費削減効果がありました。

これは中小・中堅企業の損益において、インパクトのある数字だと自負しています。

そして、全社的に取り組むべきテーマごとにクロス・ファンクショナル・チーム(CFT)を設置して、ボトムアップ型での改革とコミュニケーションの活性化を図りました。

幹部社員は、この冬が、対象会社の経営状態はボトム(底)だと認識をしていました。そのため、春以降の売上拡大に向けて、より一層の経営改革を進めていこうという機運が社内では醸成されていました。

一方で、対象会社のコーポレート・ガバナンスについては、社長が「真人間」になって、本来の代表取締役社長としての役割を果たしてくれることを、私や株主チームは期待していました。

しかし、社長は、一度獲得して当たり前となってしまった自身の役得を手放すごとに、私や株主チームが、会社が潰れてしまうかもしれないという資金繰りの観点からやむを得ずということを毎度説明しても、残念ながら、著しくモチベーションを低下させていきました。

当初、社長のステークホルダーに対する影響力を測り知れなかったため、株主チームは、この社長をそのままの地位に置きながら経営改革をするという意思決定をしました。

しかし、この頃には、社長が予想以上に社内において「裸の王様」であることも露呈していましたし、地元の政財界との関係においても、会社のお金をばらまくことを目当てにされた、お金を通じた人間関係であることも把握していました。

自己ブランディングに長けた人だったので、外部からは全く分かりませんでしたが、実際は、社長は極めて「弱い人」だったのです。

対象会社が、このような状況下で発生したのが、東日本大震災です。

2011年3月11日、東日本大震災が発生しました。財政状態も回復途中にあった対象会社ですが、前述のとおり、想定外にも経営に甚大なダメージを受けることになりました。

2020年現在の新型コロナウイルス感染症と同じような状況だと思っていただくと分かりやすいと思います。安心・安全が最優先されて、通常営業ができない状態です。

東日本大震災のときは、福島第一原子力発電所が被災したことによる計画停電などが、経済への影響を長期化させていました。先行きの不透明感も著しく、売上を急減させました。

これにより、対象会社は資金が回らなくなってしまいました。

私も東京と行ったり来たりを繰り返し、株主の資金調達にも関与する一方、対象会社の危機管理対応もしなければならない状況でした。

メモ「東日本大震災について」の中身

東日本大震災により、経営に甚大な被害を受けてしまった対象会社では、生活に直結していない働き方をしている年金受給者のパートの方々の整理解雇、3月分の給与の一部遅配、そして、休業の活用による雇用調整助成金の活用を行いました。

詳細の開示はいたしませんが、メモには極めて実務的な内容が列挙してあります。

当時は、この時の経験は今後なかなか役立たないだろうと思いましたが、2020年に発生した新型コロナウイルス感染症問題による経営危機において、この時の経験とノウハウが存分に生かされていると考えると、「若い時の苦労は買ってでもせよ」という言葉の意味が分かります。

また、東日本大震災は、私に新しい示唆を与えてくれました。

それは、これだけ科学が発展した現在においても、人間は動物であるということです。

対象会社が社内政治の激しい会社であったことは記載してきたとおりです。東日本大震災が起きてからは、全スタッフがどうにか生き残らなければならないと考えたからか、社内における対立は不思議と起きず、急に、一部の実務ができる人たちの言うことが通るようになったのです。

今までの社内政治は何だったのだろうと思いました。そして、組織図の組織とは名ばかりで、いざとなったら人間は、自分をしっかりと守ってくれそうな人に追従するのだと思いました。

私の意識において、マネジメントからリーダーシップへの転換を図らせた一つの出来事は、この東日本大震災だったのではないかと思います。

最後に一つ話を書かねばなりません。社長の動向です。

社長は、東日本大震災が起きた3月上旬あたりから、甘い蜜を吸えない会社には用がないと判断したからか、パッタリと会社に顔を出さなくなりました。

社長は東日本大震災の時の危機管理にかかる意思決定にもほとんど関与せず、また、全スタッフも東日本大震災の状況下ですから社長のことに興味もなく、非難すらしない無関心な状況でした。

そして、4月以降のある日、社長がビックリするぐらい晴れやかな顔とともに「会社を辞めたい。」と辞任届を持って出社しました。

私や株主チームは、社長にはまともになってくれることを期待したわけですが、私たちの力不足で、目覚めさせることはできませんでした。私たちは株主権を行使することもなく、結果として、彼は会社を去っていきました。

2011年6月には、株主チームは、後任の社長に、生え抜き社員の経理部長を据えることを決定しました。



本連載は事実を元にしたフィクションです。

株式会社スーツ 代表取締役 小松 裕介

 2013年3月に、新卒で入社したソーシャル・エコロジー・プロジェクト株式会社(現社名:伊豆シャボテンリゾート株式会社、JASDAQ上場企業)の代表取締役社長に就任。同社グループを7年ぶりの黒字化に導く。2014年12月に株式会社スーツ設立と同時に代表取締役に就任。2016年4月より総務省地域力創造アドバイザー及び内閣官房地域活性化伝道師。2019年6月より国土交通省PPPサポーター。

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