すいそ

水素になりたい 書きものしたりしなかったり 思いの丈をありのままに綴れますように

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水素になりたい 書きものしたりしなかったり 思いの丈をありのままに綴れますように

最近の記事

休日の果てに透明となる

たくさん休むと透明な気分になる。 自分が透明人間になった気がするのではなく、自分の足元が透明になったような感覚。 もしくは、後ろから吹いた風が自分の体に引っかかることなく前へ流れていったような感覚。 または、見上げた空がとても高くて、吸い込まれて飛んだ後にストンと落とされた気持ち。 初めてミントガムを食べた時の感覚。 不気味で機械的で不安定で空虚な。 おそらく、脳みそのアドレナリンやセロトニンが切れたのだろう。 行動する動機がひとつもなくなった瞬間。 普段は目を逸らし

    • 「ひと口ちょうだい」にはNOと言いたい

      だって、全部食べたいんだから。 コロナ流行で一時期避けられていた食べ物のシェア。 アレもコレも食べたいが、全部食べきるには量が多すぎたり値段がかわいくなかったり。 そんな時、一緒にいる人と協力できるのはとてもラッキーハッピー。仲を深めるきっかけにもなって一石三鳥。 これを何度か繰り返しているうちに、シェアすることが定番になり、前提になり、いつしか相手の食べたいものを視野に入れた注文をするようになり。 あれ? これ、あの子が食べたいんだよね? 私が食べたいのは何だったっけ

      • 大人っぽいとか子供っぽいとか、ただの線引きでしかないので

        その枠の中に収まろうとしなくていい。 って自分に言い聞かせてる。 人からの「大人だね」「子供っぽい」の言葉は、嬉しくなることもあれば、腹が立つこともある。 外側から見た『私』の優劣の評価を感じ取るんだろうな。 だから、それらの言葉に振り回されたくないと思い、反発する。 モヤモヤとした気持ちに着地してしまう。 ところで。 私はいつ、自分のことを「大人」や「子供」と感じるのだろうか。 「大人になったな」と感じる時。 夜更かししたとき。 お年玉をあげる側になったとき。 買

        • 芽生えはパワーを使うのだから

          木が育つために、間引かれ取り除かれる やる気の芽をつぶしている。 いつも潰している。 掃除したい でも出掛けなくちゃ ケーキ食べたい でもカロリーオーバーだから 寝たい でも仕事片付けなきゃ 海外旅行したい でもお金も休暇もないから 芽生えたばかりの、土からのぞいたかどうかの、ちいさいちいさい芽が 毎日生えては潰され、覗いては除かれ。 やがて芽生えなくなる。 その分の養分は『日常』という木に注がれる。 この木は、一番最初に芽生えたのが育ったもの。 私ではなく、親、親

        休日の果てに透明となる

        マガジン

        • 日常の思考集
          6本
        • 観察実験の記録
          0本

        記事

          好きなものは最後に食べるし、夏休みの宿題は最後まで残る

          なんでもかんでも後回しにしちゃう。 そういう人です。はい。 その結果、今という瞬間よりも、先を見続けることになる。 未来は不確定。 だから不安になる。 もったいないね。 未来は永遠に来なくて「今」がずーっと続くのに。 時間も自分も大切にできていない気がする。 栗ご飯の、栗だけを残してご飯を食べる。 カレーライスの、お肉だけを残してニンジンジャガイモたちを食べる。 アーモンドチョコの、アーモンドを残しながらチョコを食べる。 全部無意識にやってます。 もはや器用としか言い

          好きなものは最後に食べるし、夏休みの宿題は最後まで残る

          住処を移したい

          無性に引っ越したくなる。 新天地。 ゼロからのスタート。 まっさらからの生活。 身軽で整頓された部屋。 爽やかな朝。 そんなイメージ。 なんか元気が湧いてきそう。 しかし。 実際には引っ越しをしていない自分。 めんどくさいから。 お金かかるから。 いい場所がないから。 このままでも、まあまあ悪くないから。 たくさんの理由で埋め尽くされる。 重たい。身動きがとれない。 身軽になりたい。 じゃあ、引っ越したい。 くりかえし 実は気づいているんだけども、 全く別の

          住処を移したい

          ベキさん物語。

          あるところに、ベキさん(仮名)がおりました。 ベキさんは頑張り屋さん。 『責任感』『真面目』『こだわりが強い』『継続力がある』は、ベキさんのためにあるようなもの。 「はい!自分が引き受けたことなので、最後まできちんとやるべきです!!」 ベキさんはよく、大声で叫んでいます。 いつも全力なので、たまに力が出なくなります。 そういう日は、ひとりで部屋に閉じこもって、わんわんおいおい泣いています。 みんなは心配して、 「そんなに頑張らなくていいよ」 「もっとテキトーにやれば?」

          ベキさん物語。

          推定:トラウマ

          お金を払うとき、私は必要以上にドキドキする。 顔がこわばり笑顔モドキになる。 息を、鼻からゆったり吸ってゆっくり吐く。 「大丈夫だよ」と心でつぶやく。 どうしてこんなに怖いのだろうか。 自分でも不思議になる。 お金を手放すことに抵抗があるのだろうか。 「お金は大事なものだから」という教えに、素直に従ってきたからかもしれない。 「大事なものは手放してはいけない」、と。 しかし、お金というものは、交換することで本当の存在価値を発揮している。 使ってこそのお金、使わなくて

          推定:トラウマ

          自分を理解してほしいが、説明できないというもどかしさ

          自分のことを具体的に言葉にできてない。 なんとなく耳触りの良い言葉にしてしまう。 これが、私の作文への苦手意識につながっているのかもしれない。 自分のことを詳しく説明しようとすると、言葉が出てこなくなるのはなぜだろうか。 説明を開始するスタート地点がわからない? 相手が自分をどう見ているかがわからない? 自分が自分を知らないから、説明のしようがない? そもそも、説明できるほどの何かを覚えていない? どれもが当てはまる。 説明とは、相手と自分の認識の差を埋めることだと

          自分を理解してほしいが、説明できないというもどかしさ

          探し続けてるうちは行動しないよねって気づいた

          「新しいことを始めてみたいな〜」 「でもな〜。何かを始めるのってパワーがいるんだよ」 と言って、きっかけができるのを待つ。 「あーあ、今日も見つからなかったや。なんで見つからないんだろうなー」 少なくとも、『探している』という行動ができているよ、と自分をなぐさめる。 こうして、変わらない日々にちょっとがっかりしながら、眠りにつく。 と、毎日を過ごしている自分に気づいてしまった。 気づいたとたん、恥ずかしくなった。 そりゃあ見つかりませんよ。 だって、『行動する理由を

          探し続けてるうちは行動しないよねって気づいた

          自分が持っているものさしの目盛は、

          人のお話が好きで。 昔は本の文字という形、最近は人の声という形から、自分の中に取り込んでいる。 取り込んでいるというか、流し込んでいるというか。 噛み砕いて消化して、自分を動かすエネルギーにしているというより、 「私、こんなことを知っているんです」な顔をするためだけに使っている! そう気づいた。 これは…… ダッサいな。カッコわる。コワ。。 何かを勘違いしていますよね、アナタ。 そんな声が聞こえました。 別に、追体験というものを否定する気はない。 他人の人生には

          自分が持っているものさしの目盛は、

          サウイフモノニ

          『雨ニモマケズ』から始まる、宮沢賢治の作品。 私はこの作品を、何ということはない時にふわっと一節が浮かぶくらい、気に入っている。 一節だけ取り出してみるととても素朴で力強く、全体を眺めると非現実的なくらいの理想論。 さりげなく矛盾が込められていて、そこがかえって人間味を出しているように受け取れる。 無理なく諳んじることができる程度の長さで、声に出すとリズムが良い。 音楽を付けられそうだと思う一方で、囲炉裏端で昔話を聞くような心持ちで文面をなぞるのが一等ふさわしいと思う。

          サウイフモノニ

          教わってもらうのは難しい

          教える。 自分の知識や経験を、他者にもできるようになってもらうことが目的。 教わってもらう。 自分の言ったことを、理解してもらい、実践できるようになってもらう。 さて、自分がある人に伝授したとき、『教えた通りにできていない』事態となったとする。 原因その1、実践できるほどの技術や実力がない場合。 力が身につくまで見守る。もしくは身につけ方を伝える。 そして、当人の頑張りを信じて待つ。 原因その2、言ったことが理解できていない場合。 どこが理解できていないか、聞き取るな

          教わってもらうのは難しい

          頭と体

          現実は想定した通りにならない。 頭の中の想定は理想的。 しかし、現実はそれほどうまくいかない。 何かしらの不具合が起きて、その対応に手間取る。 気がつけば時が過ぎている。 心配ごとの大半は起こらない。 起こらない心配によって不安がふくらんでいく。 不安でいっぱいになるから、体が固まって動かなくなる。 動かないから少しの心配ごとも解決しない。 頭の中で考えることは、良くも悪くも、すべて空想。 どこかで現実と違う部分が見つかる。 理想を現実へすり合わせるために、体を動か

          夜に歩けば

          夜に歩けば、昼間と違う景色に出会う。 昼に存在感を放つ建物は真っ黒になり、 電柱の街灯がその数を教えてくれる。 昼に騒音を立てて隣を過ぎ去る車は、 夜にはまぶしさも上乗せしてすれ違う。 空の広がりは星の遠さに取って代わり、 雲の形は溶け込んで見えなくなる。 世界の見え方の違いを満喫したくて、 あえて真っ暗な道を選んで歩いてみる。 目が見えないと、耳がよく聞こえる。 草むらの虫の声、 遠くを走る車、バイク、トラック、 家から漏れ聞こえる話し声、 自分の足音、呼吸。

          夜に歩けば

          成長したい、の意味

          成長したい。 自分は、今よりもっと良くすることができるはず。 もっと良くなって、 もっと好きなことができるようになって、 もっと自由になれるはず。 そんな、立派なようでいてふんわりとしているからこそ掴めない切迫感に、いつも責め立てられている。 良くなるとは? 『何』が『どうなって』良くなるの? 技術が身に付いて、物理的にできるものが増えること? 苦手としている、人と近しい関係作りができるようになって、自力以外の方法が取れるようになること? 責任ある立場になって、多くの

          成長したい、の意味