サウイフモノニ
『雨ニモマケズ』から始まる、宮沢賢治の作品。
私はこの作品を、何ということはない時にふわっと一節が浮かぶくらい、気に入っている。
一節だけ取り出してみるととても素朴で力強く、全体を眺めると非現実的なくらいの理想論。
さりげなく矛盾が込められていて、そこがかえって人間味を出しているように受け取れる。
無理なく諳んじることができる程度の長さで、声に出すとリズムが良い。
音楽を付けられそうだと思う一方で、囲炉裏端で昔話を聞くような心持ちで文面をなぞるのが一等ふさわしいと思う。
よくなぞり返す一節。
『ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ』
『でくのぼう』とは、役に立たない人を指すはずなのに、褒められもせず苦にもされないとはどういうことか。
つまり、存在しないものとして扱われている、ということだろうか。
この節の前では、あらゆる物事を解決しようと東奔西走している様が描かれているのに、実際には役立たずとして無視されている。
果たしてこれはどういうことなのか。
そして、この節の後に、『サウイフモノニ ワタシハナリタイ』とくる。
『サフイウモノ』とは『デクノボー』を指しているのだろうか。
疑問は尽きないが、だからこそ何度も咀嚼しなおして、その時々で受け取る気持ちが変化しているのを感じる。
「褒められても困るし、嫌がられても困る。わかるなあ」
「面と向かって役立たずと言われるのはへこむなあ」
「いないものとして扱ってほしい」
「存在しているけど、存在していることに気づかれないでほしい」
「役立たずと正面切って言われるほど、気安い仲の人がいたらいいのに」
何より、この作品が未発表だという点が興味深い。
亡くなった人の手帳の中身を見てしまった人がいて、
この作品を見つけて発表しようとした人がいて、
発表された内容を見て、面白いと感じた人がいて、
文章の解釈について議論する人がいて。
数十年経っても、変わらず人々の間で存在を知られていて、
なんかよくわからないけど教科書に載ってたから知ったという人がいて、
冒頭の2行くらいなら暗唱できるという人がいて、
全部スラスラと暗唱できるという人がいて。
心の支えだと感じ取る人がいて。
隠れていたものが暴かれて、
暴かれた後も変わらず素朴で、崇高で。
私としては、あまりの理想論に非現実的だけれど、魔法などというファンタジーよりかは現実味のある手触りが、より透明で硬質な印象を受ける。
飾り気のないがゆえに普段使いしているグラスのような言葉たちだなと思う。
普段使いして、身に馴染ませて、さりげない非日常と現実を擦り合わせていく。
そういうものとして わたしは使っている
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