ラ・パロマ(ダニエル・シュミット)✶映画日記
ヘルヴェティカ・スイス映画祭で、ダニエル・シュミットの『ラ・パロマ』を観た。
ある娼館の歌手ヴィオラ(ラ・パロマは彼女の愛称)とその歌手に惚れ込んだ富豪の青年のオペラ。年齢がふた回りほども上のように見える女性に心を奪われた青年が、彼女に盲目に振り回されるお話。(※物語の核心に触れますよ!!)
無表情だけど情熱的で、永遠にスイスの古城が美しく、その画面の中でオペラが奏でるストーリーは、決して観客に優しいわけではない。
それでも観終わった後はなぜか腹落ちした気持ちがして、あまりモヤモヤとするところもない。
冒頭彼女はソファに横たわり、自分はもう余命いくばくもない、と言う。そう言う彼女はまるで自分の意思で死ぬことを決めているが如く強い目をして、青年の愛人になることを決意する。
青年の熱心な介抱の末(2人が訪れるヨーロッパの療養地がまた美しい)、彼女は元気を取り戻す。
居を人里離れた水辺の古城に移したのちに、彼女はやはりもう死ぬと言う。このときも彼女の姿はいつもと変わらず、そして青年に「3年後に自分の遺言を開き、私の最期の望みを叶えると誓いなさい」と言い残す。
律儀な青年は3年後に遺言書を開く。とするとそこには、「死から3年後に遺体を掘り起こして祭壇に飾れ」という指示があった。
そんな恐ろしい依頼であっても、青年は彼女の望みであるからと、半ば呪いのように墓を暴く。
そこにあったのは、3年前となんら変わらない、彼女の姿であった。彼女の周りには、生き生きとした、百合の花が咲き誇る。。。
この映画を観てとっさに「夢十夜」(夏目漱石)の第一夜を思い出した。
こんな夢を見た。
腕組をして枕元に坐すわっていると、仰向あおむきに寝た女が、静かな声でもう死にますと云う。女は長い髪を枕に敷いて、輪郭りんかくの柔やわらかな瓜実うりざね顔がおをその中に横たえている。真白な頬の底に温かい血の色がほどよく差して、唇くちびるの色は無論赤い。とうてい死にそうには見えない。しかし女は静かな声で、もう死にますと判然はっきり云った。自分も確たしかにこれは死ぬなと思った。
まさに彼女のことである。
まっすぐな瞳で「死にます」と言われ、観ている私もたしかに死ぬな。と思った。非常にオペラ的で美しいシーンである。
夢十夜の第一夜では、この不自然なほどに生き生きとした彼女がたしかに「死ぬ」と言ったとき、物分かりよく主人公が納得するその様子によって、この物語の「夢」としての説得力を持たせている。
青年にとっての彼女との思い出の全てが夢であったのかどうなのかは、定かではない。定かである必要も無く…。
さらに、彼女の名前でもあるラ・パロマは薔薇の品種でもある。夢十夜の第一夜でも、女は百合になって帰ってくる。または女はもともと百合だったのか。
この映画の彼女も、一輪の薔薇だったのかもしれない。
ラ・パロマは青年の願望だったのか、夢だったのか、はたまた事実だったのか。
明らかになることの無い問いが、むしろ、この映画の清々しさにつながっている気がする。
(2019/10/5 鑑賞)
tyl✶
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