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ポール・ヴァレリーの評論「精神の危機」を解説します【彗星読書夜話】

彗星読書夜話は、古今東西の、真に価値ある文学作品を解説する音声プログラムです。
ここでは、そのダイジェストをまとめて文章にしてあります。
取り上げる作品を読んだことがない人も、存分にお楽しみいただけますので、最後までお付き合いください。

文学作品は、「役に立たない」と言われることがありますが、これは初歩的な誤解です。
「役に立たせる読み方」があることを、多くの人が知らないでいるだけです。
彗星読書夜話は、優れた文学作品に用いられた、いくつもの「方法」を紹介します。
このプログラムを通して、文学作品をあなたの生活に役立たせてください。

今回は、フランスの詩人・評論家ポール・ヴァレリーの「精神の危機」
ヴァレリーの名前は知らなくても、堀辰雄の小説「風立ちぬ」、あるいはジブリ映画『風立ちぬ』を知っている人は多いのでは?
この2作品のタイトルの元ネタである詩の一節、

Le vent se lève!
Il faut tenter de vivre!
風が起る!
生きる意志を持たなければ!
(「海辺の風景」、上記は拙訳)

の作者がヴァレリーです。
このセリフ、ジブリの方の『風立ちぬ』で、二郎と菜穂子が初めて出会うとき、フランス語で交わされる会話でしたよね!
ヴァレリーは、詩でも評論でも、日本文学に大きな影響を与えた、重要人物です。


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(上の写真は1925年のヴァレリー。 
via: https://fr.wikipedia.org/wiki/Paul_Val%C3%A9ry#/media/Fichier:Paul_Val%C3%A9ry_-_photo_Henri_Manuel.jpg)

今回取り上げるヴァレリーの評論「精神の危機」は、彼の作品の中でも特に有名な文明論です。
ヴァレリーは詩人であり、かつ、「20世紀前半のヨーロッパで最強の頭脳」と言われる評論家。
なぜ、今、取り上げるべきなのでしょう?

私にとって、理由は2つです。
まず、ヴァレリーはこの文書を通して、ヨーロッパ人としての自覚と、世界の中のヨーロッパの位置付けを明確に言語で設定しました。
そして、今日のグローバル化、そしてその成立理由を、図らずも予言している。
それを踏まえた上で、「ヨーロッパとは何か」という疑問に、解答を与えたのです。

今回、この作品から学び取るポイントは、次の3つです。

・今という時代を自覚する方法

自分が生きる時代の社会を言葉にすることは、端的に言って難しいし、安易にやるべきとは言えません。
ヴァレリーはどのように、自分が生きる時代を捉えたのでしょうか?

・思考という、見えないものの性質を見抜く

ヴァレリーは、その全生涯で、知性に信頼を置く生き方をしました。
それはつまり、知性なるものの性質を誰よりも知ろうとした、ということです。
彼の指摘は常に鋭い。そして、常に私たちの10歩先にいるのです。
彼から、私たちの知性の性質を教えてもらいましょう。

・知性のモデルの移植可能性

ヴァレリーは、ヨーロッパが生み出した知性のモデル(=”精神”)が、他の文化圏にも移植され得る事実こそ、今後の社会を考える上で重要なのだと結論づけます。
グローバル社会の成立を予測した、その思考経路を辿ります。

あらすじ

この評論は3部構成になっている。
1919年、ヴァレリーは、ロンドンの週刊誌に2つの文書を掲載する。それは、第一次大戦後のヨーロッパの現状を分析する論考だった。これが第一部「第一の手紙」と第二部「第二の手紙」に当たる。
1922年、ヴァレリーはチューリッヒ大学で講演し、その内容の抜粋が第三部「付記(あるいはヨーロッパ人)」として収録されている。話される論旨はあくまで仮説であるとしながらも、ここにおいて、「ヨーロッパ人とは何者か」「なぜヨーロッパだけが特異なのか」が語られる。

・今という時代を自覚する方法

現在という時間——この言葉にし難いものを自覚し、表現する、いい方法はないものでしょうか?

「第一の手紙」を見てみます。
ヴァレリーは、第一次世界大戦という大殺戮・大破壊のあとの世界を言語化しようと試みます。そんな本文の第1行目がこれ。強烈です。

我々の文明なるものは、今や、すべて滅びる運命にあることを知っている。

歴史を紐解けば、どれほど反映した社会も、すでに書物の上でしか確認できない過去になっている。繁栄の崩壊から逃れられる社会などない、と言いたいわけですね。
そんなこと当たり前じゃないか、と考えるのは尚早です。
「すべて滅びる運命にある」と、わざわざ言わざるを得ないほど、ヴァレリーにとって、ヨーロッパ崩壊の感覚は強かったのです。

そして、それだけでは済まなかった。彼によれば、フランスの敵国であったドイツは、「丹念な仕事ぶり、最も堅固な教育、最も厳格な規律と熱心さ」によって、多くの市を壊滅させた。
つまり、ヨーロッパが、どこかヨーロッパの外側からの攻撃ではなく、内側から崩壊を始めているとういことです。
こんな風に表現されます。

ヨーロッパの髄にただならぬ戦慄が走った。ヨーロッパは、その思弁的中核のすべてで、もはや自分が誰か分からなくなり、自分が異形のものとなって、意識を失いつつあることを感じた(…)

つまり、ヴァレリーは、自分が生きている時代の存在感覚・生存感覚を、歴史から読み取れる一般的事実と照らし合わせて、まさに今こそがその時(崩壊の時)だとし、1つの地域であるヨーロッパを擬人化して表現したのです。

崩壊や自失の状態を、その個人的感覚を、言語化することは難しいものです。
個人のスケールなら、例えば、うつ病の人が、自分の状態を信頼できる他人に伝えるくらいであれば、何とかなるかもしれません。
では、危機的状況に陥った村が、町が、国が、まるで「意識を失いつつある」と感じたら、それをどう他人に、そして未来の人々に伝えればいいのか。
その手段の1つとして、ヴァレリーの方法で認識し、表現することで、整理することができるのです。

もっとも、この方法には、悪質なプロパガンダとして使われ得るという落とし穴があります。
逆説的ですが、煽動のために使われていないかをチェックするツールとしても使えるのです。

また、現在を位置づけること、意味づけることは、将来、「やはり間違っていた」と判断せざるを得なくなるかもしれません。
でも、重要なのは、今を生きる当事者が何をどう感じているか、実感を記録すること。
それが例え芝居がかった大げさなものだとしても、のちの人々の判断材料になります。

・思考という、見えないものの性質を見抜く

これまでの文脈を少し横に置いて、彼が連打する格言に注目します。

ヴァレリーはヨーロッパの精神性を分析する途上で、人間が持つ性質を鋭く指摘します。
彼の見事なところは、ネガティブな文脈であっても、そこに強靭な思考力を働かせ、必ず何かを取り出すことです。

しかし、希望とは精神が下す厳密な予測に対する存在者の抱く不信感にほかならない。希望が示唆するのは、存在に不都合なあらゆる結論は精神の誤算にちがいないということである。しかし事実は明白かつ容赦のないものだ。

希望とは、実はあてにならないもので、人間に不都合なものが目の前にあっても、それをただの誤算だと思わせてしまうものだ、という一節。
ポジティブシンキングを排し、容赦ないほど冷静になる立場を選んでいます。
また、思考と文明の関係について、簡潔にまとめるこんな一節。

思考は極端なものによってしか前進しないが、存続するのは平均的なものによってである。究極的な秩序は自動性であるが、それは思考の敗北である。究極的な無秩序はさらに迅速に思考を奈落へ導くだろう。

これは物事の両極端をみる考え方ですが、心当たりのあるケースを思い浮かべるのは容易いのではないでしょうか。
同じスタンスを一貫して持つことは、かなり大きなリスクをともなうのではないか。アグレッシブに前進しても、どこかのタイミングで転換し、安定させた方が良いのでは。そんなところまでつい考えてしまいます。

・知性のモデルの移植可能性

「ヨーロッパというモデル」には優越性がある。それはしかし、誰でも使えるものでもある。

第三部で、彼は大胆にも、「ヨーロッパ人とは何者か」という疑問に挑みます。
つまり、ユーラシア大陸の西の岬に過ぎない(近代)ヨーロッパを強くし、他の地域と区別した原因をリストアップするのです。
彼は、(古代)ローマ・キリスト教・(古代)ギリシア、この3つの影響を受けた地域がヨーロッパであると結論づけます。

ローマは組織化され、安定した権力の永遠のモデルである。
キリスト教は人間の精神にこの上なく微妙な、この上なく重要かつ豊穣な問題を提起した。証言の価値とか、文書の批判的考証であるとか、知識のよってきたる源泉・確実性とか、(……)何世紀にもわたって、幾百万人の人々の精神を教育し、発奮させ、試行錯誤させてきたのである。

ではギリシアは?
あらゆる分野で完璧を追求し、分析と発展をを繰り返し、「最も確実で個性的な産物」である科学を生み出した。

ギリシアの幾何学こそ完璧をめざすあらゆる知識の不滅のモデルであったばかりでなく、ヨーロッパ的知性の最も典型的な特質を示す比類ないモデルであった。

それによって、ヨーロッパは他のどの地域より重きをなすことになる。科学は他の地域より発展し、列強諸国は武力で外の土地を征服し植民地を獲得してゆく。
一言で言えば、これはつまり、

最大の入力と最強の出力の結合という特性
(「第二の手紙」)

によって実現されたものである、と。

では、ヨーロッパは常に優れているのか。
ヴァレリーが言いたかったことは、そうではありません。

「ヨーロッパ」とは何か。彼は次のようにまとめます。

いや違う、優っているのはヨーロッパではない、ヨーロッパ「精神」である。アメリカもそこから生まれた恐るべき新勢力なのだ。

つまり、「ヨーロッパ」とは、上の3つの要素によって生み出されたものではあるけれど、地域とか社会的共同体ではなく、”精神”=知的モデルの一種であり、その名前に過ぎず、他の地域にも移植が可能である。アメリカにも。アジアにも。どこにでも。
だからこそ、ヨーロッパは他の地域に気圧されてゆくだろうとまで言っているのです。

長い間ヨーロッパに有利に傾いているようにみられていたバランスが、ヨーロッパ自らが招いた結果として、徐々に反対側へ傾き始めた
(「第二の手紙」)

彼はヨーロッパへの対抗馬として、具体的にはインドを挙げているのですが、1904年の日露戦争の結果も知っていますし、ヨーロッパはめちゃめちゃになってしまっているしで、「ヨーロッパ」精神を持つ他地域が台頭してゆくであろうと考えていたのです。
そしてヴァレリー亡き後、世界の勢力図は徐々に変化し、パックスアメリカーナが訪れた後には、21世紀にBRICs(ブラジル・ロシア・インド・中国)の台頭を見るのです。

ヴァレリーの論旨の欠点

ヴァレリーが常に正しいかというと、そんなことはありません。
ヨーロッパがギリシア・ローマの正統な後継者であるという認識が、厳密に言えば間違っています。

現代を生きる私たちは、西ローマ帝国が滅亡した後に、それまでの書物がヨーロッパ圏から消失したことを知っています。
また、生き残った書物はアラビア語圏で保存され、翻訳されて、それがヨーロッパに逆輸入された結果としてルネサンスが起こったことも知っています。

(ただ、ルネサンスの発生時期や詳細については、今は色々な研究結果が出ていますので、細かい部分は省略します)

ヴァレリーの語り口は少々ナイーヴすぎます。
それに、彼は「ヨーロッパ」を語るとき、「資本主義」を語っていない。
近代におけるヨーロッパ台頭の原因は偶然でしかない、という見方も現在はある。
でも、「これが足りないじゃないか」と後から検討することなど、いくらでもできます。
むしろ、ヴァレリーは何を見落としたのか、を考えることが、今日重要なのかもしれません。

ポイントまとめ

・今という時代を自覚し、整理するために、現在を、歴史上に見られる例や法則性と結びつける。現在(時間)や地域(空間)を擬人化する。

・「ヨーロッパ」という名の原理は優越性を持つ。それはヨーロッパという地域の外でも利用できる。故に、「ヨーロッパ」を利用し基準化した社会、「グローバル社会」が始まる。

最後に

ヴァレリーの評論は、どれを取っても、惚れ惚れするような鋭い見解に満ちています。
正直、現代の教養として、ヴァレリーの本は必読書だと言いたくなるくらいです。
今回ご紹介できたのは、彼の思考のごく一部。彼の思考の方法を自分のものにして、今の私たちの周りを分析してみてください。
翻訳でもっとも優れた一冊は、岩波文庫から出ている『精神の危機』。全16篇が1冊で読めます。
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