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#138菓子の名は…

 著者は出先のあちこちで出来るだけその土地のものを買ってきますが、その中にはお菓子と酒が多く含まれます。今回はそんな菓子のお話です。
 昨年の年末の仕事納めの際には、自分へのご褒美として虎屋の主菓子を購入して帰り、家族で抹茶と共にいただきました。正月には花びら餅を購入しました。さりとて、高級なものばかりを買ってくるわけではなく、スーパーでいわゆる駄菓子を購入することもままあります。
 先日はスーパーで夕食の買い物をしていた際に、久しぶりに「かりんとう」を購入しました。かりんとうは子どもの頃からよく食べていましたが、そういえばその来歴については調べたことがなかったなと思い、今回少し調べてみました。
 新宿中村屋のHPによると、もともとは遣唐使の伝えた「唐菓子」を起源とする説や一六世紀に中国から長崎に伝わったとする説など、起源にも諸説あるようです。広く知られるようになったのは、新宿中村屋のHPでは明治八年(一八七五)に浅草の店で黒糖かりんとうを製造、販売することになったことによるとされています。

 農業産業振興機構のHPでは、起源については新宿中村屋と同様のことを記していますが、江戸での広まりについては、江戸時代中期に深川あたりで振り売りの証人が販売したことにより広まったという説をとっています。

 著者がたまたま購入した商品には「播州駄菓子」と記されていました。「播州」ということは兵庫県にも関係しそうです。常盤堂という姫路市にあるかりんとうを製造している会社のHPによると、姫路藩主であった酒井氏が財政難の折に財政再建策として名産品を作ることによって対応しようと、家老の河合寸翁という人物が江戸、京都、長崎に職人を派遣して和菓子作りの技術を習得させ、播州駄菓子としてのかりんとうの製造が始まった、としています。河合寸翁は電子じばさん館HPによると文化・文政期の人物のようです。

 著者が別な日にスーパーで買い物をしていると、レジの前の棚に「奉天」というお菓子が置いてありました。この奉天も子どもの頃によく食べた記憶があります。この奉天について、どうしてこのような名前なのかが気になってきました。かりんとう同様に唐菓子の流れを汲む菓子で、中国の地名で日露戦争で知られる「奉天会戦」の奉天の地名からきているのかと想像しました。
 こちらについては、著者の全く想像していなかった回答が先の常盤堂のHPと京都市伏見区に所在する伊藤軒のHPに書いてありました。

 まず奉天はかりんとうの一種であること。小さな球状のかりんとうを外側を飴でコーティングして棒状にし、それを切り分けたお菓子であると記されています。そもそもかりんとうの一種であることを著者は知らなかったので驚きました。しかも名前の由来としては、中国の地名は関係なく、天神様に奉納する菓子として作られたとのことで、「天神」に「奉納」の天と奉を合わせて奉天と命名されたとのことです。
 普段あまり気にしていないことでにも、知らないことがまだまだあるんですね。以前に虎屋の菓子の歴史などの本は読んだことがありましたが、包括的な和菓子の歴史についても知りたくなってきました。

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