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#151公家について調べてみる

 昨年から仕事で公家について調べることが増えています。普段は自身の研究として、地方名望家などが対象のため、各地の自治体史などを用いて調べることが多いです。しかし、こと公家について全く畑違いのことなので、一体なにから調べていいものやら、と思い、とりあえず大学の図書館などで何かいい書籍はないものかと探しておりました。今回は公家のことについて調べていた時のお話です。

 深井雅海、藤實久美子編『近世公家名鑑編年集成』全26巻(柊風舎、二〇〇九年一〇月)という膨大な資料集があります。こちらは寛文七年(一六六七)から明治二年(一八六九)までの「公家鑑」という史料を年次別に掲載したものです。「公家鑑」は江戸時代の公家の、その年々の当主の名前や役職などを記したもので、武士における「武鑑」や明治以降の「官員録」、「職員録」に当たるものです。これらは史料の性質上、その年々の状態しか記されていないので、その前後の年に誰が当主で、どんな役職だったかというのは複数の史料を集めないと判らないとなることや、史料の発刊後の異動については翌年分でしか変更が確認出来ないので、当主の交代や出世した月日などは詳細には追えないという欠点もありますが、その年の状態をピンポイントで知るということについては有効に活用出来ると言えるでしょう。

 霞会館華族家系大成編輯委員会編『平成新修旧華族家系大成』上、下(吉川弘文館、一九九六年一月)は図書館などで比較的閲覧しやすい資料といえるでしょう。幕末の直前くらいからの公家の家について家系図が記されています。旧華族の資料集ですので、明治以降に華族となった旧大名や明治維新で活躍して華族となった勲功華族についても記されています。
 『平成新修旧華族家系大成』を見ると、どの家も直系で連綿と続いているように見えます。旧華族、特に公家の家系図には癖があり、もし家に女児しかいない場合に婿養子を娶ったとしても、その婿養子が当主として扱われるため、義父の下に婿養子が直線で結ばれ、実子である娘はその妻という表現で記されます。また、そのように見えるようにするために、実子の娘を一旦他家の養女とし、婿養子にあたる男子を養子として迎え入れ、そこに外に養女として出した実子の娘を嫁がせる、という持って回ったことが慣習として行われています。この慣習にどのような意味があるのかは詳らかではないですが、このようにすることで家系図上、連綿と直系で続いているように見えるとなっているので、公家の家系図を読み取る際には実子、養子の関係を注意深く読み取る必要があります。

 また、最近では、国立公文書館のデジタルアーカイブでも多くの史料の写真が公開されており、非常に便利になっています。内閣文庫所蔵の「公家系図」は、天保年間あたりまでの、各公家の家の歴代の誕生から死没までの略歴とその父母についての記載がある史料です。幕末ぎりぎりの頃や明治初年に活躍した人物については記載されていないこともありますが、各家々の人物がどのように昇進していったかなどは詳細に追うことが出来ます。こちらの史料については、国立公文書館のデジタルアーカイブで自由にインターネット上で閲覧できますので、ご興味のある方は是非ご覧ください。

 その他にも公家について調べる書籍はいろいろあるかと思います。例えば、『公家諸家系図-増補知譜拙記』(続群書類従刊行会、一九六六年八月)は、姓が判らなくても名前から索引で探すことが出来るという便利さがあります。
 今回、不案内なジャンルを調べることで、あちらこちらを探し回りましたが、少しでも実際に調べたいことに時間をかけることが出来るよう、なるべく最短距離で知りたいことを明らかに出来るように、調べるためのツールについてはより多く知っておくと便利かと思いますので、参考までに今回ご紹介しました。

余談
 ちなみに、下らないことですが、国立公文書館の「公家系図」を見ていた際に、「綾小路家」というのが出てきました。勿論ながら、この系図には、「翔」も「きみまろ」も「麗華」もいませんでした。


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