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#105Today is not just tomorrows yesterday.(今日は、単なる明日の昨日ではない)

 先日、久方ぶりに大学の図書館を利用してきました。これまで自由に卒業生も閲覧、貸出が出来ていたところ、2020年より感染症対策から不特定多数の外部の者の出入りを防ぐということで、しばらく閲覧停止になっておりました。昨年の2022年には、2週間以上前に来館日時と使用する書籍を事前予約しての来館、使用許可が出るという形に変更されていましたが、なかなか使い勝手は良いものではありませんでした。しかし、この4月から以前のように自由に来館、貸出が出来るように変更されたことで、気軽に閲覧に訪ねることが出来るようになりました。著者の出身校は、小さい大学ながら歴史があるため、割合古い書籍もそろっており、何よりも大概の書籍が貸し出し可能であるという点が非常に使い勝手の良い点として、非常に重宝しておりました。
 久しぶりに大学に訪ねて思うことは、それ以前にも感じていましたが、学内であまり学生を見掛けないことです。著者の世代は第二次ベビーブームの世代真っ只中のため、学内にはたくさんの学生がいました。現在は少子化が進んでいることもあり、何だか学生の数がかなり減ったように見えます。もちろん、学生の数が減っただけでなく、成果主義が厳しく、講義もないのにふらふらと学内で遊んでいるほどに学生に時間的余裕もないのかもしれません。とはいえ、大学院時代には弱小大学だったこともあり、学内だけで研究会が出来るほどに大学院生がいるマンモス校と比べると、切磋琢磨する学友が少ないというのは、何だか「数は力」だなぁ、などとも思ったこともあったため、多くの人と交流してわいわいすることで学べることは、今の大学には少ないのかもしれないなぁ、という印象を受けました。

 そのようなことを思っていたところ、そういえば大学時代には意識的にいろいろしていたなぁ、ということを思い出したので、至極当たり前の事ばかりかも知れませんが、歴史学を学ぶ上で多少役に立つかもしれないので、ここに少し記しておきます。

1:とにかく知識をつける

 せっかく自分の好きな勉強をするために大学に入ったのですから、それはもう、勉強しようと思っていた分野に関係する書籍、資料集を読みまくりました。とはいえ、当時の著者は往復4時間かけて自宅から電車で通学しており、非常に通学時間が長かったため、その時間を何とか活用しないと、と思っておりましたが、電車ですら乗り物酔いをするほどに乗り物に弱く、もちろん電車の車内で本を読むことなど到底出来ませんでした。その代わりに、ヘッドホンでラジオを聞くことで、時事についての情報収集を行うということをしていました。余談ながら、後の大学院時代には、とても講義に対する事前、事後の学習が追い付かず、やむを得ず電車の車内で読書するようになり、無理やり慣れさせることで克服し、現在は普通に電車の車内で読書が出来るようになりました。

2:教養を身につける

 高校生の頃には、身の回りの世界が広いわけでもないので、それほど教養は付いていませんでした。そのため、読書ももちろんですが、それ以外にも
いろいろと見たり体験したりすることで教養を身につけるということを意識的にしていました。中でも、週に一度は博物館や美術館、ギャラリーなどを見に行くということと、週に一本は映画を観るということを自分に課していました。博物館や美術館、ギャラリーなどの展示は、実際現場に行って本物を見るということをすることで、現在にも何らかの役に立っていることでしょう。個人的なことでは、学生で時間を持て余していたこともあり、展示キャプションは残らず読むようにし、結果として古文書と翻刻分をそのころには照らし合わせて読むことをしていたので、のちに古文書を読む際の基礎になったように思えます。映画も、当時はレンタルビデオ店でアルバイトをしていたこともあり、役得で借り放題だったため、流行りの作品から古典的な作品に至るまで、さまざまな作品を見ることが出来ました。この時の経験から、古典的な作品の女優や監督についての知識を得ることが出来、のちに史料調査の際などにお年を召した方と話しをする時のネタが蓄積され、雑談によって相手の心を解きほぐして信頼を得て、聞き取りなどがスムーズに出来るようになったのではないか、と思っております。

3:人と会って話を聞く

 もっぱらインドア派であった著者は、あまり人と積極的に話す方でもなかったのですが、大学に行くとさまざまな地方の出身の学生もいますし、また、外の世界には思いもよらない特技や知識を持った人もいました。そのため、積極的に飲み会などに参加して、様々な人の話を聞くように心がけました。このことで、自身で書籍や博物館の展示から得る知識以外に耳学問という方法でも情報収集、知識を得ることが出来ますし、広く浅いかもしれませんが交友関係も広がります。また、さまざまな人の得意技を聞いておくことで、自分には知識や技術が持ち合わせていないことに相対しないといけないことが起こった際に、知恵を借りたり助けてもらったりすることが出来ます。

 以上のようなことを気にしながら、学生生活を過ごしていたわけなのですが、これらのことが少しは役に立っていたのでは、という逸話をいくつか列挙いたします。
 ある非常に大きな家の古文書調査で、10人ほどで史料を見ていたのですが、家に伝わる絵葉書が非常にたくさんあり、特に文面のないものなどは目録を採録するのに往生していました。そこで仕方なく、絵柄について記載することで他の絵葉書と区別することを試みたのですが、これはアルフォンス・ミュシャ風、竹久夢二風の美人画、などと書かれているものや作風でそれぞれを判別出来るように史料目録に記載することで、他の人が見ても判るようにすることが出来たことがありましたし、あるいは、民具の調査の際に、のぼりがいくつか出てきた際に、武者の絵が描かれており、兜の形状からこれは加藤清正だ、橋の下に靴を拾いに行っている様子が描かれているのでこれは張良だ、と判別することが出来たこともありました。
 また、逆に酒造りの史料が出てきた際には、さっぱりその位置づけが判らなかったので、そうえいばあの人が酒造業者の史料調査をしていたことがあったな、と思い出し、いろいろとお知恵を借りて調査を乗り切った、ということもありました。

 このように、その場その場では何の役に立つかどうかわからないことも、いずれ何かの際には役に立つこともありますので、より幅広く物事を知っていることが、歴史学を深く学ぶ材料になりえるのではないかと思います。
 幅を広げることと物事の突き詰め方を深めること、この二つの手法を用いることで、歴史的な新たな事象の発見につながるのではないかと思いますが、今回は幅の広げ方の一手法をご紹介しました。何かの役に立つようでしたら幸いです。

いただいたサポートは、史料調査、資料の収集に充てて、論文執筆などの形で出来るだけ皆さんへ還元していきたいと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。