『趣味が無い』ことについて。

私にはこれといった趣味が無い。

就活の際に、趣味をエントリーシートに書く。
就活以外でもプロフィールだったり自己紹介だったりの場面で趣味を書いたり喋ったりする。

この文章を読んでいるあなたは、『趣味』の欄に何を記入しますか?

私は高校の頃までは、趣味に『読書・音楽鑑賞』と書いていた記憶がある。
別に嘘を書いていた訳ではない。


確かに高校時代は学校内で電子機器の使用が禁止されていた為、学内で暇を潰すのに文庫本を携帯し、各所の待ち時間で少しずつ読んでいたのだ。

主に読んでいたのは『櫻子さんの足下には死体が埋まっている』シリーズ(太田紫織 作)、『ホーンテッド・キャンパス』シリーズ(櫛木理宇 作)など。

特に『櫻子さん』シリーズは小学生時代に初巻を購入してから読み続け、大学生になるまで続編が作られ続け、リアルタイムでその物語の完結を見届ける(読み届ける)ことが出来て何とも言えぬ達成感を味わった記憶がある。

『ホーンテッド・キャンパス』シリーズはなんとまだ続いている。

大学に入ってから“小説を読む”という行為に時間を割けなくなってしまった(読書のモチベーションがない)ので10巻分くらい未読の状態になっている。これは完全なる怠惰なのだが、いつか最後まで読みたいと思っている。最新刊は2023年7月発売の第21巻。ストーリーほとんど覚えてないけど読み直すか……。長いな……。

という話が出来るくらいには読書はしていた。

さっき書いちゃったけど、これは高校の中でスマホが使えなかったので、代替の暇つぶし道具として小説があったに過ぎず、今となっては読書は月に1回するかしないかの行動になってしまった。

“月に1回するかしないか”のことを趣味と呼んでいいのか…?と思って趣味の欄に『読書』と書くのをやめた。

音楽鑑賞は今でもよくしている。
外でひとりの時は大体イヤホンしてるくらいには。
とは言っても、昔はクラシック音楽や昭和の洋楽(BeatlesやQueenなど)を聴いており、純粋に娯楽や癒しとして聴いていたのに対し、今は演奏のレパートリーを増やしたりカラオケで歌える曲を探すためにJAZZや流行の曲、アニソンを聴くことが多い。

純粋な気持ちで音楽鑑賞をしていない。先行投資だと思って聴いている。大人になるってこういうことか。

大学に入ってからは、新たに『ラジオ』が追加された。
元々ラジオを聴くのは好きだったのだが、主に聴くのがFMとかAMラジオではなく、アニメのラジオばっかりで、「何のラジオ聴くの?」と聞かれると回答に困るのが容易に想像出来たのでわざわざ加えていなかった。

しかし大学生になると私は“ラジオを作る側”になってしまったので、さすがに無縁ヅラは出来ないなと思い趣味に書き加えることにした。

FMのラジオは今でも聴いてない。理由は特になく、単純に興味が無いのと、芸能人やプロのラジオパーソナリティーが喋るラジオが肌に合わないというそれだけ。

今はいくつかのアニメのラジオとポッドキャスト、あと自分で作ったラジオ番組を聴くだけで精一杯である。

ラジオというコンテンツは消費に時間がかかる。
ラジオ1本を聴く時間で映画が観れてしまう。
そう考えるとラジオというコンテンツは本編の長さに対して制作コストがかなり低いのでかなりコスパが良い。

ラジオは毎週or隔週更新されるので、次から次へと聴かなければならない番組が補充されていく。
ラジオを趣味にすると大変だ。
まあその分何かの作業の片手間に聴けたりするのでそこで何とかする。

noteの毎日更新もまあ言ってしまえば趣味ではあるのだが、特に情熱を持って取り組んでいる訳では無いし、「趣味でnoteを書いています!」と言い張るにはあまりにも一つ一つの記事が粗悪だし、誰も読んでないし、そもそもリアルで会った人間に教えられるようなものじゃない。

しかもラジオの消費もそうなのだが、「次これやらなきゃ」「今日のうちに終わらせなきゃ」と思っている部分が無いと言えば嘘になるので、私は多少の義務感を背負ってnoteを更新している。

こんなnoteを『私の趣味』とするのはあまりにも恥ずかしい。趣味とするならばもっと面白い文章を書くべきだし、ファンや読者ももう少しつくべきだと思う。

趣味とするには現段階であまりにも生産性がない。


趣味の話で思い出すのが、ブロガーのARuFa氏が「趣味が無い」とラジオで度々話していること。

彼のTwitterやラジオを聴いていればわかるのだが、彼は多才かつ多芸で、TwitterやYouTubeに投稿している動画や画像は全て自作で、一時期は吹き矢にハマったり凝った料理を作った話もしていたし、そもそもラジオの編集自体も彼がやっている。

これで「趣味が無い」と言い張るのか…?と外から見ると思ってしまう。

先日投稿された匿名ラジオ(ARuFa氏がダ・ヴィンチ・恐山氏とやっているラジオ番組)のコメント欄でもそのことについて言及されており、「趣味を神聖視しすぎている」や、「むしろ失礼」などとコメントされている。

一緒にするのはあまりにも無礼極まりないのだが、私もARuFa氏と似た感覚を持っているのかもしれないと思っていて、私が思う“趣味”とは、その物事に強い興味を持っていて、それについて語ることが出来、それが出来るほどの知見を持っていることだと思っている。

例えると、タモリ倶楽部にゲストとして呼ばれた時に解説出来るような人間でないといけないと心の中でどこか思っていたのである。

私の友人で“アイドルマスター”シリーズが好きな人がいるのだが、彼にアイマスの話をさせると止まらなく、アイマスの全コンテンツを十分に把握しているし、ファン歴も長く、なんならアイマス関連の二次創作までやっている。

こういうのを『趣味』と呼ぶんだと思う。

私にはこんなふうに情熱を持って触れているコンテンツは無いし、何についても語れないし、何の二次創作も作れない。

アイマスの彼はそのほかにも、配信者として活動していた時期があってその関係でLive2Dや配信機材に詳しいし、動画編集でお金を貰ったことがあるくらいには専門性も高く、好きなアーティストのライブを観に行くためにバスに5時間乗り続けるなど、これこそ『趣味』だろ、というものを沢山持っている。

私には何も無い。

彼の方が5歳も年下なのに。

『趣味』とするからにはそれだけの情熱を持っているし、一般人には負けないくらいの知見を持っていて、その人の個性として光り続けている。

私は『音楽鑑賞』を趣味の欄に書いたものの、やっていることはお気に入りの曲をリピートして脳内物質を分泌し続けているに過ぎず、知らない曲なんて山ほどあるし、カラオケの最新ランキングに上がるような流行の曲をほとんど知らないし、“音楽好き”と呼ばれるような人がやっていることを私は何もしてないし、音楽理論も知らないし、好きな曲のいい部分を語ることすら出来ない。

当然だが作曲も出来ない。
「音楽が好き」なんて口が裂けても言えない。


『ラジオ番組の鑑賞』も趣味の欄に書いたが、FMラジオなんて滅多に聴かないし、ラジオ好きな人なら絶対聴いている、みたいな番組を私は何も聴いていない。
オールナイトニッポンだって聴いたこと無いし、スクールオブロックだって聴いたこと無いし、ジェットストリームだって聴いたこと無いのだ。

今まで「ラジオ聴くのが好きなんです!」と言う人と沢山話してきたが、その誰とも話が合わなかった。

当然だ。私は『ラジオが好き』なのではなく『好きなラジオを聴くのが好き』なだけだから。

読書なんて最早論外。

東野圭吾も池井戸潤も京極夏彦も伊坂幸太郎も、芥川龍之介も江戸川乱歩も太宰治もぜ〜〜〜〜んぜん読んだことが無い。
朗読会に参加した時も「好きな作家は誰ですか?」と聞かれて本格的に悩んでしまった。好きな作家が多いからとかじゃない。単純に純文学を読まないからだ。


私には何の情熱もない。
こだわりもないし何かに触れるモチベーションだってない。
ジャズやトランペットだって人と関わるための口実としてやってるだけで全然上手に吹けないし、好きなアーティストなんていない。

私は趣味を持てない。

自己紹介やエントリーシートの趣味を書く欄には毎回嘘をついていることになる。

私には語ることが何も無い。

多分、私のnoteが伸びないのもこれが関係しているんだと思う。

私はこのnoteにおいて、何かについて熱弁したことが無い。

遠慮してるとか、書くのが面倒くさいとかじゃなくて、単純にそんなに語れることが何も無いだけ。

私は普段、映画のフリーペーパーを制作している個人団体の方のラジオを聴いているのだが、そこで喋っている彼らは映画監督の名前が出ればその人の代表作や作風の話しがボロボロと出てくるし、映画のレビューをするにしてもかなり的を射ている。

映画のことを語らせると、必ずそれに【説得力】が生まれるのである。

私の言論には何一つ説得力が無くて、何を語っても私のひととなりが見えてこない。


私は何も知らない。
文化人として生きる資格が無いのだ。


誰もが趣味を持っていると思ったら大間違いである。
私のような何の情熱も知識も見聞もない、空っぽな人間もいることを頭の片隅に入れておいてほしい。

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